ようやく勉強に対してやる気が出てきました。
昨日は、苦しい一日でした。
どうしても気分がハイにならない。
音楽を聴いても、勉強する場所を変えてみても、テレビをつけても、散歩しても、バイクに乗っても、全く勉強する気にならなかった。
最終手段で、買ってから手を付けていなかったシザーハンズを見ることにしました。
シザーハンズはベンが言うにはかなり有名な作品らしく、
『子供のときよく見ていた』と言っていました。
ジョニーデップ主演という事もあり、日本人でも見たことある人は沢山いるのかも知れませんが、俺は、彼らに教えてもらうまで全く知りませんでした。
シザーハンズという話は、有る発明家が人造人間を作っていて完成間近で急死してしまう。彼は手がはさみのまま取り残されてしまった。というなんとも寓話らしい設定だ。
街で暮らすようになった彼は有る女性に恋をするが、手が刃物なので触れることすらできない。そして結局は人々と離れて一人で暮らす事を決意するという話だ。
もう、20年前くらいに製作された作品だが、なかなか面白かった。
手がはさみという事で、食器すらまともに持てない、握手もできない、周りからはハンディキャップ(障害)を持った人とも言われたりもする。
ここで言う障害とはなんでしょうか?
俺は障害者と健常者の境目が全くわかりません。
健常者とは健康な人のこと?で障害者とは、健康でない人か?
はたまた、普通に不自由なく生活できる人のことか?
健康とは何なのか?障害とは何なのか?
健康の定義はWHOが発表しているが、
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity." (www.who.int/aboutwho/en/definition.html)
「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」
俺からすれば、この世の8割以上の人が障害者だ。
ウチの母親は昔から親父を障害者と言っている。
耳も聞こえない、目も見えない、鼻も通っていない。
つまりは、チョット耳が遠くて、コンタクトかメガネが必要で、鼻炎の親父は
障害者であるということである。
母親から、メガネ、コンタクトが必要な人はみんな障害者だという事で教え込まれてきました。
だから、今でも少しそう感じます。
黒板に書かれた文字を指されて『あれなんて書いてある?』と聞かれるときがままありますが、それもれっきとした小さな障害でしょう。
ただ、そういった目が悪いという”障害”がとんでもなく多くなってしまったから、それを障害と感じなくなったというだけだろうと思う。
やから、車椅子の人や、白い杖をついた人がもっと増えれば、それを障害と意識する人も減ってくるんじゃないかと期待したりもする。
車椅子がないと普通の暮らしができないように、コンタクトやめがねがないと普通の生活ができない人とを同じと考えるなら、現代人は全て障害者なのかもしれないな。
そんな身体的な障害に加えて心的な障害まで言うと、ほぼ100%が障害者かもしれんな。
やから、あんまWHOの健康の定義は好きやない。
健康な人が誰もおらんという定義やん。
『健康であるとは自分自身の存在に気が付かないということだ。』(ニーチェ)
俺はこのニーチェの定義が好きやな。
これなら誰でも健康になれる。
『自分自身の存在に気が付かない』ということはどんな事か分かりますかね?
無我夢中って漢字が分かりやすいかな?
『我を忘れて没頭する人、モノがあること』とでも言ったら簡単でしょうか?
例えば、いい例に『落ち込んだら友達を励まそう』ということがあります。
落ち込んでいる状態というのは『健康でない状態』です。(とします)
落ち込んでいるときにはどうやって立ち直ればいいのか?
答えは簡単です。人を励ませばいいんです。
人の生きがいの中心は、『他人に感謝される事で自分の存在理由を確認する事』
癒しも慰めも感謝に比べれば表面的一時的に過ぎず、価値は低い。
『恋の主人公は自分だが、愛の主人公は相手である』『恋愛における至上の幸福とは自分がどれだけ幸せになるかでなく、愛する人がどれだけ幸せになるかである』とフランスの小説家スタンダールが言うように、
自分を後回しにできる事こそ、幸せであり、そういう状態を健康と言っている。
『健康であるとは自分自身の存在に気が付かないということだ。』(ニーチェ)
あなたは、いつまで自分の存在を意識し続けるつもりでしょうか?
自然と、『あっ、俺の事忘れとった・・』とか言える日がくるといいな・・。
やるな・・ジョニーデップ・・・。
昨日は、苦しい一日でした。
どうしても気分がハイにならない。
音楽を聴いても、勉強する場所を変えてみても、テレビをつけても、散歩しても、バイクに乗っても、全く勉強する気にならなかった。
最終手段で、買ってから手を付けていなかったシザーハンズを見ることにしました。
シザーハンズはベンが言うにはかなり有名な作品らしく、
『子供のときよく見ていた』と言っていました。
ジョニーデップ主演という事もあり、日本人でも見たことある人は沢山いるのかも知れませんが、俺は、彼らに教えてもらうまで全く知りませんでした。
シザーハンズという話は、有る発明家が人造人間を作っていて完成間近で急死してしまう。彼は手がはさみのまま取り残されてしまった。というなんとも寓話らしい設定だ。
街で暮らすようになった彼は有る女性に恋をするが、手が刃物なので触れることすらできない。そして結局は人々と離れて一人で暮らす事を決意するという話だ。
もう、20年前くらいに製作された作品だが、なかなか面白かった。
手がはさみという事で、食器すらまともに持てない、握手もできない、周りからはハンディキャップ(障害)を持った人とも言われたりもする。
ここで言う障害とはなんでしょうか?
俺は障害者と健常者の境目が全くわかりません。
健常者とは健康な人のこと?で障害者とは、健康でない人か?
はたまた、普通に不自由なく生活できる人のことか?
健康とは何なのか?障害とは何なのか?
健康の定義はWHOが発表しているが、
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity." (www.who.int/aboutwho/en/definition.html)
「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」
俺からすれば、この世の8割以上の人が障害者だ。
ウチの母親は昔から親父を障害者と言っている。
耳も聞こえない、目も見えない、鼻も通っていない。
つまりは、チョット耳が遠くて、コンタクトかメガネが必要で、鼻炎の親父は
障害者であるということである。
母親から、メガネ、コンタクトが必要な人はみんな障害者だという事で教え込まれてきました。
だから、今でも少しそう感じます。
黒板に書かれた文字を指されて『あれなんて書いてある?』と聞かれるときがままありますが、それもれっきとした小さな障害でしょう。
ただ、そういった目が悪いという”障害”がとんでもなく多くなってしまったから、それを障害と感じなくなったというだけだろうと思う。
やから、車椅子の人や、白い杖をついた人がもっと増えれば、それを障害と意識する人も減ってくるんじゃないかと期待したりもする。
車椅子がないと普通の暮らしができないように、コンタクトやめがねがないと普通の生活ができない人とを同じと考えるなら、現代人は全て障害者なのかもしれないな。
そんな身体的な障害に加えて心的な障害まで言うと、ほぼ100%が障害者かもしれんな。
やから、あんまWHOの健康の定義は好きやない。
健康な人が誰もおらんという定義やん。
『健康であるとは自分自身の存在に気が付かないということだ。』(ニーチェ)
俺はこのニーチェの定義が好きやな。
これなら誰でも健康になれる。
『自分自身の存在に気が付かない』ということはどんな事か分かりますかね?
無我夢中って漢字が分かりやすいかな?
『我を忘れて没頭する人、モノがあること』とでも言ったら簡単でしょうか?
例えば、いい例に『落ち込んだら友達を励まそう』ということがあります。
落ち込んでいる状態というのは『健康でない状態』です。(とします)
落ち込んでいるときにはどうやって立ち直ればいいのか?
答えは簡単です。人を励ませばいいんです。
人の生きがいの中心は、『他人に感謝される事で自分の存在理由を確認する事』
癒しも慰めも感謝に比べれば表面的一時的に過ぎず、価値は低い。
『恋の主人公は自分だが、愛の主人公は相手である』『恋愛における至上の幸福とは自分がどれだけ幸せになるかでなく、愛する人がどれだけ幸せになるかである』とフランスの小説家スタンダールが言うように、
自分を後回しにできる事こそ、幸せであり、そういう状態を健康と言っている。
『健康であるとは自分自身の存在に気が付かないということだ。』(ニーチェ)
あなたは、いつまで自分の存在を意識し続けるつもりでしょうか?
自然と、『あっ、俺の事忘れとった・・』とか言える日がくるといいな・・。
やるな・・ジョニーデップ・・・。