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回り道を全力疾走

通学時間中の結論(環境問題)

2009-09-29 08:58:01 | 未分類
環境問題をテーマに活動している人は何を最終的な目標にしているのだろうか?

人間の豊かな生活だろうか?
それとも
本当に地球環境、自然の保護だろうか?

それとも、どちらかなんて選べない、どっちもなんて言うかもしれない。

途上国支援などと同様に環境問題も考えを突き詰めていくと、何もできない、むしろ何もしない方がいい!という結論に俺はなってしまった。

たまに友人、知人のそういった催し事に参加するのは、単なる趣味娯楽といった割り切りをしている。

先日は物々交換事業も行う環境活動家の話を聞かせてもらった。

物々交換はリカードの比較生産費説を代表としたグローバリズム、市場原理主義の基礎となる考え方だ。

それが、どう勘違いしてしまっているのか、金銭を介在させないだけで、資本主義社会に反抗している気分になっているようだ。

金銭は、価値の基準でしかない。

金銭が無い時代は金銀財宝がそうであったし、日本では米が基準であった。

何も物がなくても、価値観と欲さえあれば資本主義は成立してしまう。


話を戻そう


環境を本当に考えるならば、簡単な話、人類が皆死ねばいい。

エネルギーも廃棄物も出さない、真の循環社会が容易に誕生する。

では人類が絶滅するにはどうすればいいか?
環境活動家が危惧しているように、今のまま大量生産大量消費をすれば、資源が尽きて人類は滅亡する。

つまり、最短で効果的な環境活動は、過剰消費社会だといえる。

それを言ったら、このように反論されました。

『子どもを持てば分かるようになるけど、子どものことを考えたら、その子たちの未来は奪えなくなるよ』と。


この発言に2日ほど引っかかっていた。

まず一つ目、
子どもを持てばわかる。は、大人が子どもに無理やり納得させるために用いる卑怯な指導である『大人になれば分かるよ』と同類であり、論理が成立しないこと。

二つ目、ただ大人になればわかるよ、であれば死なない限りいずれは理解できるかもしれないと解釈できるが、子どもを持つか持たないかは現代社会において自由であり、もしそれを子どもを持つことを強制、「子どもを持つつべき」思想からの発言ととらえれば、子どもを持たないという選択をした人の生き方の否定ともとれる。そうでないにしても、自分の立場からしか考えていない単なるエゴ的な発言といえる。

三つ目、今から私たちがする経済活動の功罪を子孫に押しつけることに疑問を感じるなら、現在の社会に至らしめた親やその上の世代が犯してきた罪はなぜ咎めないのか?そもそも、何を持って罪とするか、善悪とするか時代ごとに異なる価値観において未来における罪を断定することは難しい。


地球環境を守れる最短ルートを無視して人類の子孫を優先させるということは、結局、地球環境よりも自分達が可愛いのではないか。

俺が考える結論は単純だ

地球が大事なら今まで通りでいい。
人類が大事なら思想統一をして何の欲も発達も望まない型通りの機械的人間に教育していけばいい。

マル経ならそれに近いことが出来そうだ。

俺が思うのは、人間らしい繁栄の仕方は 利益を追い求め、そこに思想や理屈でカッコ良く塗り固めていって、なんかの拍子に一気に廃れていく。そんなプロセスやと思う。

結局は、
人類を思うなら何もせずにいこう。
地球環境を思うなら何もせずにいこう

となってしまう。


関東でやっている物々交換のイベントもユニクロをはじめとした企業が一緒にやろうと声をかけてきているらしい。

環境活動も慈善活動も企業のイメージアップに使われるだけで根本的な解決にはならないだろう。











ただ、効果がないからと言って『あってはならない』とは思っていない。『あってもいい』いや『あったほうがいい』と思う。

世の中、無駄なものがないと楽しくない。

無駄なものがあるからこそ頭を使うし、余裕が生まれる。
たしかイチローの名言集にも載っていた
『無駄なことを考えて無駄なことをしないと伸びません』と


冒頭に述べたように

だからこそ、俺にとって環境とか途上国問題の催し事は趣味娯楽として参加しているんです。