りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

亨保のパラダイムシフト?

2023-09-13 03:30:45 |  日 記 
江戸時代、神祇官任命権を掌握していた「吉田神道」。その正統性に対して、常に疑義はあったのかもしれないが、「吉田神道」「度会神道」が主に依拠していた「神道五部書」を文献考証によってその来歴を解き明かし、その正統性を学問的手順で否定していったのは「国学」だった。

元文元年(1736)、吉見幸和による「五部書説弁」は文献考証学的アプローチで、鎌倉時代の外宮神官による偽作と断じた。
これにより、「度会神道」が依拠していた伊勢外宮の文書の「正統性」が揺らぐことになる。依拠する以上に、ほとんど「根拠」としていた「吉田神道」が無傷で済むはずがない。

吉見幸和は名古屋東照宮の神職という立場にあった。
「東照宮」というのは、その根拠が「徳川家康公」「東照大権現」なので、「神社」としては新しいという以上に、当時にあってはこの上なくわかりやすい。
ただスタイルとしては「東照宮」はものすごく複雑というか、「神仏習合」というだけでは足りないくらいで、複合的な上にも複合的にいろいろ統合されている。当時にあって、「日本的」な「信仰スタイル」のすべてを「家康公」の下に集めて習合、統合させたような。
このフィールドでも「天下統一」がなっているようにさえ見える。
「家康公」というシンボルに、妙見信仰が隠されていたり、薬師如来信仰が表に立っていたり。そもそも「東照(アズマテラス)」の音感が「天照(アマテラス)」に大変近しいことになっている。そのあたりについて、機会があるなら「東照宮」の方々に詳しく伺ってみたいところであるが、それはまた別の話。
幕府の威光そのもののような「東照宮」にあっても、「神社」である以上、神祇官任命権を持つ「吉田神道」の影響力が及んでいた。
吉見幸和は、その「吉田神道」の根拠に対して、実証的な批判を提出したということになる。
任命権にまつわるあれやこれやの実際を知るわけではないのだが、僕にもざっくりとしたイメージが浮かんでくる。「乱世の神道」に対して、「天下泰平の神道」が退場を促した。そんな風にも見えてくるのだ。

「神道五部書」は後に本居宣長によって神宮の古伝承についての記録として、相当な価値を認められていたりもするので、まったく全否定されたというわけでもない。
だが、吉見幸和による学問的証明によって、「国学」の「神道」に果たす役割が顕在化したという意味でも大きな事件だったことは想像に難くない。誰かひとりの名前に代表されるというよりは、「国学」の文献考証学的努力からもたらされた大きな成果のひとつだったと言える。
実際に、ここから「吉田神道」はどんどん失速していくことになる。幕末には「復古神道」「古神道」のムーブメントが大きなものになっていくのだが、このパラダイムシフトが社会に波及していくには、まだまだ長い時間がかかる。

「国学」のビッグネーム、荷田春満が江戸に上り、神田明神で「国学」の教場を開いたのが、1700年以降のこと。
彼が伏見稲荷神社(伏見稲荷大社のこと)の神職として生まれたことを考えると、即座に「稲荷神社」と「国学」の間をつなげる何かを探らずにはいられないのだが(*‘ω‘ *)
われながら、これはなかなかに性急な感じ(^o^)
しかし、ついついサッと繋げたくなってしまうほど、直接的なイメージは浮かんでしまう。

荷田春満はまずは万葉集や古事記の研究で知られている。本居宣長が後に示す「もののあわれ」、「大和心」、「大和魂」といった概念も、万葉集などの地道な研究の集大成の上に成立することになるのだが、そうした研究の扉を押し開き、実際的な道筋を与えるところまでのカタチを作ったのが荷田春満。
儒教以前、仏教以前の、日本の精神。これを「古道」とする。「古道」に出会うために探るべき領域は広範で、国史や法制、語学、歌文の研究に渡るが、「国学」にあって「和歌」の研究が極めて重要になっていくのは自然な流れだったのかもしれない。
とにかく研究のフィールドを開きまくったというか、「国学」の多面的なイメージを具体化していったわけだが、膨大な研究成果が結実するには「荷田春満」ひとりの人生で足りるものではなかった。多くの研究は未完のまま、遺稿となった。
荷田春満が亡くなったのは1739年。奇しくも、吉見幸和による「五部書説弁」上梓と同じ年だったのも、「不思議」を通り越して、この上なく「自然」な流れに見えてしまう(^o^;)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「正一位稲荷」流行の素地 | トップ | ハイフェッツ、12/65 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。