りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

実は知っていたとか?

2021-05-14 23:46:09 |  映 画 
「クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代」という映画(?)を見た。
「ウィーン黄金時代」と言うほどに、クリムトの時代は輝かしい時代だったか?
タイトルに首を傾げてしまったのには理由がある。
「ウィーン」という都市の名を聞けば、僕はモーツァルトやベートーヴェンを真っ先に思い出す。
もっとも、彼らはウィーン生まれというわけではないけれど。
彼らの活躍した「ウィーン」の方がまだ「黄金時代」にふさわしいように思ったのだ。
もっとも原題は「クリムトとシーレ、エロスとプシュケー」。
なるほど、律儀なまでにタイトルに忠実な展開だった。
邦題が映画をミスリードする典型か(^ω^ゞ?
とは言え、この映画が2019年にリリースされたことは、いかにもタイミングが良すぎるように思える。

タイトルに冠しているわりには、クリムトについて語られることは多くはない。
と言うか、物足りない。
1918年、エゴン・シーレの「死」が映画のオープニング。
オットー・ワーグナーやクリムトも死ぬ。
どうにも象徴的な「死」の連鎖。
「エロスとプシュケー」を高らかに謳い上げるはずだった芸術家たちの相次ぐ死は、
「来たるべき黄金時代」がついに訪れることはなかったという最終定義か?

なんとも暗いイメージに支配されている「黄金時代」。
しかし、見終わってみると、別の考えに誘導されている自分を発見する。
来たるべき「二十世紀」の理想は、「ウィーン」の「黄金時代」とまったく同じように、
ついに実現することはなかった。。。と?
では百年後の現在、21世紀の現在はどうなのか?
まるで同じではないのか?

誘導を承知で結局観てしまったのだが、
コロナ禍の現在に似た「死」のイメージがまるで予言のように綴られていく様を見ると、ちょっと唖然とする。
「生きることが許されなかった」「エロスとプシュケー」を示すことに、
どこか根本的な悪意を感じるのだが、これが穿ち過ぎに思えないのは、
現在進行している事態があまりにも似すぎているから?
ひょっとして、この映画を製作した側はすでに知っていたとか?
まるで、映画「インフェルノ」のように???

いや、いや、いや、いや。



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