年末、人、人、人でいっぱいだった鎌倉を歩いたときに、今度の大河ドラマは「鎌倉」が大きな舞台なるのだと知った。遅まきながら(^^ゞ
大河ドラマを習慣的に欠かさず見ていたのは、ずいぶんと昔の話で。
ここ十数年分ほどの情報が欠落している。
そもそもテレビをほとんど見ないのだから、NHKも見ていない。
ただ何にでも例外はある。
どういうわけか、ブラタモリだけは再放送をちょくちょく目にする(^ω^ゞ
NHK云々はともかく、北条義時という人物について、自分はなんにも知らないってこともその時、同時に思った。
名前は聞いたことある。でも、この人のことをまともに考えたことはない。
執権がまつりごとを取り仕切る体制、「源氏」以降の日本がここからはじまったというくらいの認識。
「鎌倉殿」とは、元は頼朝のことをさして呼んでいたのが、後に幕府中枢を意味するようになったものらしいが、
鎌倉の人混みの中を歩いていても、かつてここが日本のまつりごとの中心であったような感じはまるでしない。。。そりゃそうか(^ω^ゞ
けれど、鎌倉幕府は歴史上の事実。
それを疑っても、意味は無い。
この日の関心は別のところにあって、それで鎌倉まで出向いたのだけど、
鶴岡八幡宮を参拝したあたりから歴史の上での「鎌倉」について、とりとめもないことを考えたりして。
鎌倉駅に向かおうとして、小さく狭い路地を抜け出たところ、小さなお社に出会った。巽神社。
そこら中に神社仏閣がひしめき合っている鎌倉にあって、特に目立つような徴はない。
ただ、この小さな神社は坂上田村麻呂により創建されたとされている。
坂上田村麻呂と鎌倉には縁がある。
源氏以前の鎌倉と坂上田村麻呂。
そこから想像が盛り上がってしまって、銭洗弁財天や日が暮れて真っ暗な佐助稲荷にも足を運んだりして。
気分は妙にふわふわして、だいぶ楽しかった。
年末に鎌倉を歩いたことで大河ドラマのことは少し気になってはいて、ある時、どこかの話の終わりの15分ほどを見ることがあった。
おもしろそうとは思うのだけど、僕が思う大河ドラマっていう感じからは遠かったような(^ω^ゞ
ま、僕のイメージは古すぎるっていうことくらいは自覚しとります(^ω^ゞ