「熊本コール六花」の指揮をしている平江と申します。今回原稿を依頼され書くことになりました。以前は高校で音楽の教師をしていましたが、縁あって「熊本コール六花」を指揮して3年目になります。
退職する年の3月に東日本大震災が有りました。あの日は金曜日で3年生が卒業し、2年生を集めて体育館で集会があっていました。それが終わり体育館を出るころに大きな地震があったという話が飛び込みました。急いで近くの部屋に入りテレビをつけました。その時見たのはヘリコプターから映しだされる津波と、逃げ惑う車や人でした。私は同僚の先生と無言で見つめていました。
あれから5年経ちました。今の私は合唱指導と農業を営んでいます。これから記すのは退職後に始めた稲作の話です。まず、退職前に考えたのは今後どう生きていくかでした。我が家はもともと農家で田畑がすこしばかり有り、これまでは近所の農家の方に田んぼを貸し出し、耕作してもらっていました。その田畑を自分でやりたいと思い、まず県立農大に4月から9ヶ月間研修生として勉強に行き、週2回農業の勉強をしました。小さいころ手伝い程度はしていましたが自分でやるのは全く違いました。研修生は若い人から同年輩の人までいて、先生方も丁寧に教えて下さいました。
そして次の年、稲作に挑戦することにしました。私の長女が食べ物に興味があり、その関係の友達がいろいろアドバイスをしてくれました。5月ぐらいから田んぼを耕し、苗床を作り、種子を蒔き、田んぼに水を入れ、借りたトラクターで耕し、6月に皆で苗を手で植えました。ほとんど初めてのことで、失敗しながらもなんとか植え終わったときは感動しました。
その後は周りの畔の草刈りや、水の管理など大変でした。10月の稲刈りは娘夫婦と娘の旦那の両親や、友達など集まりまた手で刈りました。刈った稲は竹竿に架け干しをし、11月に脱穀をしたら10アールほどの田んぼから600㎏ほどの米が獲れました。自分で手間暇かけたお米は本当に美味しいものでした。
2年目のことについては、また次回書きたいと思います。まあ老後の楽しみと思い、いろいろ挑戦するのは楽しいことです。