たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

一周忌法要2

2013年05月06日 | 日記

法事の朝は上天気になりました。亡母の納骨は前もってお墓にお骨を納めておくよう、お寺さんから指示され、午前中に内輪で納骨だけしました。

一周忌法要は午後1時から、その前にお寺さんをお迎えに行き、年忌法要の前に墓前にて納骨法要となりました。お寺さんは阿弥陀経を一巻上げられ、その頃は親戚もほとんどお参りされ、墓は家のすぐ裏手なので、各自が線香を上げお焼香していただきました。墓は大正年間に亡父と弟の2人が本家の墓として建てたものです。その後本家より払い下げられ、墓になっています。その前が本家の墓で後から建てられた墓です。住職からお墓石のコケを後で剥がすよう指示されました。

年忌法要は一周忌、三回忌、7回忌、13回忌と一周忌を除いてそれぞれ、3と7が下一けたにつく年に行う決まりになっています。年忌の年の数え方は“かぞえ年”であるとされています。引き出物は通常3回忌くらいまで、年忌法要は33回忌までが一般的と書物にあります。
:仏教エッセンス事典(土屋書房)

在所の兄がお斎の席で挨拶しましたが、今回は亡母一周忌を中心に、亡妻13回忌、亡父50回忌を兼ねました。本当は昨年が亡父の50回忌に当る年でしたが、母の葬儀、49日忌がつづき翌年の今年にしたということです。50年も前のことなので自分等はすっかり忘れていました。
浄土真宗大谷派なので、法事はお寺さんの高声の“先請弥陀”せんしょうみだ・・先ず請う、弥陀入堂場・・から読経は入ります。 
今回は3つの法事なので先ず、大経の仏説大無量寿経、仏説観無量寿経、小経の仏説阿弥陀経と、この宗派の経典3部経全部をご読経されました。
僧侶にとっては重労働です。終わってすこし説法があり、お勤めの正信偈(しょうしんげ)を三四引きという省略形の称え方で、参列者全員で称和しました。飛騨でも在所の辺は皆子供の頃から正信偈を夏休みなどに行事として練習するので、見事に朗朗と揃います。
住職の説教は「50年前というと、私はまだ坊主になっていなかった。それくらい昔のことで、50年忌法要は家名が無事長くつづいたことに感謝し、先祖を追善供養する仏事」とお話されました。

ご住職はとうに後の長男に継承しなければならぬ時期にきています。若い頃は東本願寺で堂僧として毎日読経の修行をされたそうで、声がいいことと正調で称えられることで、近隣に聞こえています。他所のお葬式で聞く読経はいつも聞き劣りします。

昼前の身内や兄弟のお茶のみ話で、50回忌でもあるし、一周忌といっても母は108歳も生きて目出度く天寿を全うし、白寿の際は内閣総理大臣、小泉純一郎氏の表彰状が仏間に飾ってあるくらいで、めでたい法事なので飛騨独特の酒席での祝い歌「飛騨めでた」を出してもいいなぁと話し合いました。兄貴に誰か音頭とりを考えて根回しするよう頼みました。

お斎(とき)は、町内の料理旅館でマイクロバスの送迎です。酒量もおおいに上がり盛大に飛騨めでたを住職さんが短い挨拶の後、音頭を取られ皆が二小節から唱和しました。
お客さんは23名ほど、座敷の端に席につかない身内や近い親戚が、長テーブルに寿司盛の別料理で着きました。家からも鉢ものを持参します。今回は実家の姪夫婦と子供3人、内2人は大学院と大学を春に卒業就職し、一人は大学在学中、連休で全員お参りしてくれました。



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2 コメント

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いい法要ですね。 (hygoodday1203)
2013-05-06 07:26:37
昔、といっても私が結婚した頃は家の近所でも法事は大イベントで
御先祖様のお陰で親戚一同がお参りして会席をしました。
でも、近頃は法要も内輪だけで少人数でやるようにりました。
だからよけいに親戚といっても誰か解らないような状況です。

本家さんの跡取りが地元でやっていてくれれば出来ますが
なかなかそうもいかない事があって大人数の親戚の会食の
機会が少なくなりなした。

若い人の負担を考えるとそれも仕方のないことでしょうね
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法事は大変 (corona404)
2013-05-06 08:08:27
hygooddayさん
全くそのとおりです。家で折り詰めでも取ってというのも、大変で料理屋になります。
招かれる親戚の出費も大変です。
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