ふるさとは名残雪 合掌造り 若山家(移築) 飛騨金山ドライブイン飛山
今日は土曜日、NHKテレビドラマ「家で死ぬということ」21:00全国放送の日です。是非ご覧になって下さい。
なぜかって・・ロケーションの地が世界遺産「白川郷」が舞台になるからです。
この地は私の仕事のエリアでもあって10代の終わり頃から、時々訪ねた地です。特に退職最後の2年間を専担の地域としてお世話になった忘れ難い地なのです。
今は余りにも有名になりましたが、昔は陸の孤島と言われた豪雪の僻地でした。
大昔飛騨は大化の改新(646年)のおり、国制を「大、上、中、下」の四等に定められましたが、飛騨は下の下「下下(げげ)の国」だったのです。飛騨・高山市から白川郷に至るには旧荘川村経由となります。荘川へ出るのに三つの峠を越さなければなりません。小鳥(おどり)峠、松ノ木峠、軽岡峠です。明治の昔、白川郷へ赴任を命じられた役人があまりの難所に「ビックリ峠、思案峠、辞職峠」と名付けたそうです。日本三大秘境のゆえんを如実に物語っています。
戦後荘川と白川郷の間に御母衣(みほろ)ダムができ、最大25万kwの電力を生み出しています。国道も改修され、高速道路、東海北陸道が開通し昔のよすがはありません。
この白川郷に有名な合掌集落があります。よくぞ文化遺産を残してくれたと感慨に耐えません。合掌造りとは、合掌礼拝の手の形からきています。
この地に私の大事な級友のひとりが住んでいます。戦争が終わり昭和29年の春、夜間高校へ入学し33年に卒業しました。この地に住む彼は高山の商店に小僧で勤め、同級生となりましたが体を壊し中途退学し帰郷を余儀なくしました。
戦争遺児でもある彼の偉いところは勉学の志熱く、その後通信教育で高校を卒業し、さらに通信教育で法政大学を卒業しました。
村の公的機関に世話になった彼は要職を歴任し、有力な地位まで登り村人に尽くし、愛され今に在ります。彼の世話で3年前この地で同窓会をやりました。達筆な毛筆で賀状をくれます。
また我々の在学中に校舎が消失する不運に遭いました。それを元気づけようと当時の先生方が在校生から夜間部の歌を募集され、作曲も在学生の曲が採用されよく歌ったものです。同窓会では勿論歌います。
その後学校再編で校舎は変りましたが夜間部は今に続いています。歳月を経てこの歌は忘れられ扁額に残るのみになっていたのを惜しみ、昨年副校長先生が甦らせてDVD化し、行事で歌うことにしたと中日新聞に出ました。喜んだ我々級友は連絡を取り合い、近くに住む代表が学校を訪ね感謝の意を伝えDVDを頂き、その中の一人が許可を得て複製し皆に送ってくれました。
高校のホームページにアップされているのでお聞き下さい。you tubeでお馴染み音楽ソフト「初音ミク」での音曲ではないでしょうか。
ブログ講習会の際はお世話になりました。ブログは暇つぶしにはもってこいですが、毎日アップは大変ですね。何か不明がありましたら聞いて下さい。
火事の後、4年生は高山高校だったのですが
斐太高校の事しか思い出せません。