愛知県犬山を流れる木曽川(水量不変の川も今冬は渇水気味:寂光院下)
同じ八咫でも今度はカラスです。
八咫烏(やたがらす)は神武天皇東征の際、熊野の国から大和の国へ道案内したとされる3本足の烏です。ウィキペディアによると、この場合は単に大きいという意味とか。
平成16年正月元旦に法隆寺にお参り、紀州、白浜温泉で一泊、翌日那智の瀧の根元にある民宿に一泊、熊野那智大社へお参りしたとき、参道に沿った街灯のデザインが八咫烏だった。ワールドカップ・サッカー・オールジャパンのシンボルがこの3本足の八咫君であることはご存知のとおり。
平成18年には熊野の山を一つ越した、桜の名所吉野の上流、丹生川上神社中社へお参りした。東吉野の辺鄙な山の中の神社です。この社の前を流れる川は吉野川の支流高見川。
このほかに上社、下社と歴史のある神社が二つ。
中社の宮司さんに「何でこんな山奥に似たような名前の神社が三つもあるの」とお聞きしたら、昔、神武東征の際、八咫烏が神武を道案内した道筋に当たるためと説明された。
橿原市に皇祖神武天皇をお祀りする橿原神宮がある。大和三山のひとつ畝傍山(うねび)を背景にした、大きく静かで立派な神社だ。ここは2回お参りした。後二つの山は、耳成(みみなし)と、
持統天皇の歌
「春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天香具山」(万葉集巻1-28)
「日本人の心のふるさと」と言われる古代史、明日香村を中心に、吉野町、橿原市、桜井市、天理市周辺を、高校の級友が吉野町の団地に別荘を持っていた関係で、時々行っては何年もかけて歩き回っています。
八咫烏と同じ道案内、猿田彦神はお伊勢さんの内宮さんの正門前に、猿田彦神社があった。猿田彦がニニギの天降りの先導を終えた後、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まったことに由来するらしい。
私の住むこの辺では猿田彦様は屋敷の神様とも聞いたことがある。壊してしまったが旧宅を増築した際、ここでお払いをしてもらったという砂を、請負師が清めの砂だと撒いてくれたことがある。また変な方へ脱線した。
付録)神奈備HP紀の国の神々と古代にも詳しい。
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