杉浦日向子氏の『百物語』に入っている一篇。敷地内に古い蔵があり、その中に住まう何ものかが、例えば火事などが起こるときなど、前もって「しらせ」があるという話です。
作品内では、新しく奉公に上がった娘が、先輩からその蔵に入るしきたりなどを教わりながら、ある日その「しらせ」があって…という内容。
『百物語』は怪談集ではなく、ちょっとした不可思議な話を中心に編まれています。シンプル故に説得力のある絵が、江戸時代に限らない怪しげな話に普遍性を与えてます。
いきなりこんなネタが出てきて、ちょっと面食らったかたもいらっしゃるかもしれませんが、実はこのテの話は大好物で、表現力があったら書き溜めたいくらいです。都市伝説とかオカルトなネタ、教えてください状態です。
ツーイングして待合室で順番待ちしていたときに、柳田翁の『妖怪談義』を読んでいたら、この『数原(スハラ)家』の文字を見つけた時、思わず声を上げるかガッツポーズ取ってしまいそう、というほどの驚きでした。『百物語』自体杉浦氏のフィクションだとは思ってませんでしたが、そういう話の裏付けが取れたような気がして、ドキドキワクワクしました。ザシキワラシなどと同じ「家霊」、アイルランドではバン・シーみたいな存在で、ともに「それがいる家は"格"がある」的なところも似てます。
こういう存在って、非科学的と片づけてしまえばそれきりですが、蔑ろにしてきたお陰で社会の秩序がイイカゲンなものになってしまった、そんな気がして仕方ないです。生活の中にあった薄暗いところが電燈で駆逐されたはずなのに、実際は駆逐されたんじゃなく、人の心の中でさらに暗く陰湿なものになり、手に負えなくなっていると感じるのは、自分だけじゃないと思うのですが。
作品内では、新しく奉公に上がった娘が、先輩からその蔵に入るしきたりなどを教わりながら、ある日その「しらせ」があって…という内容。
『百物語』は怪談集ではなく、ちょっとした不可思議な話を中心に編まれています。シンプル故に説得力のある絵が、江戸時代に限らない怪しげな話に普遍性を与えてます。
いきなりこんなネタが出てきて、ちょっと面食らったかたもいらっしゃるかもしれませんが、実はこのテの話は大好物で、表現力があったら書き溜めたいくらいです。都市伝説とかオカルトなネタ、教えてください状態です。
ツーイングして待合室で順番待ちしていたときに、柳田翁の『妖怪談義』を読んでいたら、この『数原(スハラ)家』の文字を見つけた時、思わず声を上げるかガッツポーズ取ってしまいそう、というほどの驚きでした。『百物語』自体杉浦氏のフィクションだとは思ってませんでしたが、そういう話の裏付けが取れたような気がして、ドキドキワクワクしました。ザシキワラシなどと同じ「家霊」、アイルランドではバン・シーみたいな存在で、ともに「それがいる家は"格"がある」的なところも似てます。
こういう存在って、非科学的と片づけてしまえばそれきりですが、蔑ろにしてきたお陰で社会の秩序がイイカゲンなものになってしまった、そんな気がして仕方ないです。生活の中にあった薄暗いところが電燈で駆逐されたはずなのに、実際は駆逐されたんじゃなく、人の心の中でさらに暗く陰湿なものになり、手に負えなくなっていると感じるのは、自分だけじゃないと思うのですが。
人の心の中で…
大いに共感できる部分デスねェ。
文明の利器は否定出来ませんが、今を不安に感じるからこそ、そうでなかった時代に憧れを抱くのかもしれません。「昭和」をそう想い、平成の次になったとき、平成に何を思うかな~と漠然と考えますね。
本、読もうかな^^;
『百物語』も読みたいなぁ。
>不可思議な話
諸星大二郎氏の作品はいかがですか?
18世紀は"理性の世紀"、19世紀は"科学の世紀"、20世紀は"不安の世紀"、という言葉があるのですが、もうちょっと未来に責任を持てるようになりたいと思います。
>本
…因にここで取り上げたのはコミックですので、構えなくても楽しめます。『百日紅』というコミックがアニメ化されましたが、原作を読めば見るほどのものは無いと思ってます。
>諸星大二郎氏
…実はもうちょっと下世話になって高橋葉介とかが大好物です。諸星大二郎氏も、追々食指が伸びそうですw
大学キャンパスですれ違いました。あはは
80年代中頃、当時の大型二輪免許は試験場に行って1発試験を受けるしかありませんでした。
合格率3~5%ぐらいだったでしょうか、狭き門でした。
合否は受験者全員の走行後、その場で発表されます。
そして、少数の合格者を、リスペクトな眼差しと共に、皆で拍手で見送るという「しきたり」がありました。
わたしは運良く4回目の挑戦で、その拍手に包まれました。16歳の冬でした。
当時の大型二輪乗りは「格」がありました。だらしなく乗る人を見かけた記憶はありません。
若かったわたしは、その格が自分にはまだ無いのを自覚していて、「よし!」と思えた数年後まで、大型に乗ることはありませんでした。
当時の規制された免許制度と社会風潮に戻るのは二度とごめんですが、イマドキの「大型バイクに乗った人」をみると、あの時感じた「格」とは、いったい何だったのか、不思議に思えてなりません。w
…なんと!\(@∀@;)/
>4回目の挑戦で
…16歳での合格、おめでとうございます。熱意が試験官にも充分伝わったんでしょうね。
規制が解除されることは、ある意味良いことなのかもしれませんが、解除されるという"恩恵"ばかり受け取って、それに伴う"責任"について顧みないのを見かけると、やはり安易な規制緩和を諸手を挙げて歓迎するのもどうかな、という気がしなくもありません。教習所って結局のところ「合格率」が収入源ですから、そういった精神的な部分まで面倒を見ることは難しいのかもしれません。
>イマドキの「大型バイクに乗った人」
…『引下げデモクラシー』って言葉がありましてw
元ネタは柳田翁も編纂に加わった「江戸叢書」で、杉浦氏の『百物語』もこれを下敷きにしていると思われます。