昨日書いた漁師の話ですが、ちょっと書き足りない部分があったので、今日はその続きです。
なぜ、漁師は奥さんと、さしたる口論もせずに、カレイ(神様かな)に、非常識なお願いをし続けたのか?
たぶん答えは、今日の表題になっている「責任転嫁」だと思うんですよ。
奥さんの注文は、どう考えても理にかなっていません。本来ならば、三段論法によるのかは、定かではありませんが、漁師が奥さんに、コンコンと話して我慢させるのが当たり前です。ところがお話では、二言三言、遠慮気味に「そりゃーまずいんじゃないかい」みたいなことを言うだけで、、ヒステリー気味の奥さんに「早くいってきて!」と言われると、すごすごと神様に頼みに行くのです。
怖さからいえば、当然神様の方が怖いはずです。ですが嫌なのは、奥さんとの口論や、喧嘩のほうなんでしょうね。そして、奥さんが、理詰めの話を理解できる人ではないことを、漁師は分かっていたのでしょう。げに恐ろしきは「感情なり」です。
こういう時どうするか・・・あなたならどうしますか?
私なら・・・「さわらぬ神にたたりなし」言われた通りにしますね。間違えていてもそれは、私の責任ではありませんから。そしてこういう時、最も効果があるのが、他の人の意見なのです。
私もそうなのですが、妻に「それは違うよ」みたいに言われても素直に聞き入れられない時があります。ところがそこで第三者が「やっぱり違うわ」みたいに言うと、素直に違いを認めるのです。
話として、直で話すより、ワンクッションおいた方が丸く収まる事も多いですしね。
このお話の漁師さんも、第三者に(この場合は神様ですね)「無理だよ」と言ってほしかったんだろうな~と思います。そうすれば、帰宅して奥さんに、「神様がダメって言ってるんだから、しょうがないだろう。我慢しようよ」みたいなことが言えて、そうすると、奥さんの怒りの矛先は神様に向かうわけで・・・いくら奥さんでも神様とは喧嘩しないでしょうし、神様から言われればしょうがない、と諦めるのではないでしょうか。
「ダメだし」の責任を神様にお願いする。悪者を他人(第三者)にするというのは、日本的な知恵だと思っていたのですが、このお話を改めて読んでいる内に、洋の東西を問わないんだな~と感心しました。
神様が元の状態に戻した時、漁師はきっと、ガッカリするより、ホッとしただろうなと思います。