Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/教会巡礼・天草

2021-07-11 08:18:11 | 旅行

2020年の記録

 

青空の下、大江教会を巡礼することができた。

 

翌朝になると雨は止んでいたが曇天。天気予報では、時間とともに良い方向に向かうようだ。(昨日、雨だった平戸は、快晴とか・・・残念!) 今日も移動を続ける。明日のことを考えれば、少しでも前に進みたい気持ちもあって、一目散に口之津港を目指し、島原半島の西岸を南下する。

 

フェリーで熊本県に入り、天草下島を海岸沿いに一周したあと、天草上島、宇城から有明海に沿って北上、朝、出発した雲仙市の対岸となる福岡県大牟田市に到着した。

 

口之津港まで来ると、青空が眺められるようになった。海上には、小舟が浮かぶ。フェリーに乗るのは久しぶりだ。今回の巡礼、ほんとうは、長崎県の黒島や小値賀島の教会を巡る予定だったが、さすがに離島は自粛したといった経緯もあって、フェリー乗船は感慨深い。

 

熊本県鬼池港に上陸した後は、東シナ海の天草灘に沿って南下し大江教会を目指す。

 

大江教会は、キリスト教解禁後、天草で最も早く造られた教会で、現在の天主堂は、昭和8年(1933年)天草への伝道に生涯を捧げたフランス人宣教師ガルニエ神父が私財を投じ、鉄川与助設計・施工により竣工した。ロマネスク様式の鉄筋コンクリート造である。

 

﨑津教会は、フランス人司祭のハルブ神父の希望で、かつて絵踏が行われた庄屋宅(吉田家)跡に鉄川与助によって1934年(昭和9年)に竣工した。ゴシック様式の三廊式平屋で、リブ・ヴォールト天井構造に切妻屋根瓦葺き。正面の尖塔・拝廊と手前二間は鉄筋コンクリート製だが、予算の都合で祭壇を含めた奥三間は木造建築になっている。コンクリート部分の外壁は大正末期~昭和初期に流行したざらつき感のあるドイツ壁(モルタル掃き付け仕上げ)風に仕立てている。室内の壁は漆喰塗りで白く明るく、教会としては珍しい畳敷きである。

﨑津教会自体は文化財指定をうけていないため、世界遺産の構成資産としては教会単独ではなく、﨑津集落内の景観の一部として扱われている。

﨑津教会は、10年以上前に鹿児島の友人の実家に遊びに行ったときに日帰りドライブで、訪問している。現在、良くも悪くも観光化され綺麗に整備されたが、当時は、今ほど整備されておらず、畳も傷んでいた記憶がある。

 

天草五橋で結ばれている天草松島は、熊本県の大矢野島と天草上島の間に大小約20余の島々の総称で、宮城県の松島、長崎県の九十九島と並ぶ日本三大松島の一つである。

 

三角西港公園には、移築、再建された歴史的建造物がある。

旅館・浦島屋は、1893年(明治26年)7月22日、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が長崎からの帰途立ち寄り、「夏の日の夢」と題する紀行文の舞台とした和風旅館である。1905年(明治38年)に解体され大連に運ばれましたが、1992年(平成4年)に設計図をもとに復元された。

 

龍驤館は、明治天皇即位50周年記念事業として計画、明治天皇の崩御により計画を変更、天応頌徳記念館として宇土郡の公会堂、産物に陳列、教育勧業の振興として、1918年(大正7年)に旅館・浦島屋の跡地に建設された。

 

ムルドルハウスは、三角西港の設計者・オランダ人技師ムルドルの名にちなんでつけられた物産館である。(歴史的な建造物ではない)

 

 

﨑津教会訪問のあとの1時半過ぎにスマホを使って、大牟田までたどり着けることを確認してビジネスホテルを予約。開業1年未満の新しいホテル、バスなし訳アリの注釈があったが、シャワーがあれば十分と判断して予約したのだが、チェックインして仰天。部屋そのものは、清掃も行き届きナイスなのだが、カーテンで仕切られているもののトイレは室内にある。専用の換気扇が設置されているものの耐えられない客もいるのでは?と余計な心配。(僕自身は没問題!) 昨晩と同様近隣のコンビニで買った弁当を自室で食べる夕食で1日を終えた。

 

 

旅は続く