2022年の記録
記録的酷暑が一服した7月中旬、赤レンガ建築が見たくなり、会社帰りに慶應義塾大学・三田キャンパスを訪問した時の記録。
職場のある東京駅から京浜東北線でワラビスタンと逆方向に4駅、8分で田町駅。三田、白金、高輪、広尾、麻布、六本木・・・・・、僕が最も疎い東京である。
コロナ禍に突入してから大学など教育施設への見学は軒並み禁止となった。そりゃ、学生に登校制限しているのだから「一般見学者お断り」は当然。コロナ禍が過ぎ去るまでお預けを覚悟していたが、慶應義塾大学三田キャンパスの見学解禁を知り訪問することにした。
お目当ての図書館旧館(福澤諭吉記念慶應義塾史展示館、カフェ八角塔)に近い東門(東館⑬)まで、田町駅から約10分。開放時間内であるが、門は閉じられていた。やっぱり、ダメか?
ダメもとで正門(南門 ⑰)に行ってみると、問題なく入校できた。良かった!
正門を入り、南校舎(④)を抜けて、突きあたりを右進むと、竣工1926年(大正15年)塾監局(⑫)がある。珍しい黄色レンガ建築である。一見の価値ある美しい建物だ。
慶應義塾図書館・旧館(⑪)は、創立50周年記念事業として、1908年(明治41年)に起工、1912年(明治45年)竣工している。関東大震災(1923年)、東京大空襲(1945年)という二度にわたる大災害をくぐり抜け、建設当初の華麗な姿を留めている。赤煉瓦と花崗岩による壮麗な外観を有しており、ゴシック様式の洋風建築である。塾監局とも甲乙つけ難い美しさである。1969年(昭和44年)、国の重要文化財指定。
美しい近代建築を拝見し、正門に戻る途中、右奥手にある三田演説館(⑮)に寄った。アメリカから取り寄せられた図面を基に造られており、洋風でありながら外観は木造瓦葺、なまこ壁といった日本独特の手法が用いられている擬洋風建築である。(1875年/明治8年起工) 建設当初は旧図書館と塾監局の間にあったが、1924年(大正13年)に現在の場所に移築された。1967年(昭和42年)、国の重要文化財指定。
慣れたワラビスタンに帰還、写真は、ワラビスタン西方の新幹線、埼京線高架橋と夕焼け。
【メモ】
ナンシー・ペロシ米下院議長の訪台で、台湾周辺が騒がしくなった。
結局のところ、領土問題は、人類永遠の課題か? 事実は1つでも、対立する両社の認識は、1つにならないものだ。
中華人民共和国(以下中国)にとって、「台湾問題は、中国の国内問題」。台湾は、中国固有の領土と考えているからだ。中国共産党だけの見解ではない、多くの大陸中国人民も同じ見解だ。「それ、違うだろ!台湾の人だって、中国に飲み込まれることを望んでいないよ。」と考える日本人は、西側の人間だからだ。
北方四島を“日本固有の領土”と考える日本人は多い、中国のような手荒なことはしないものの「北方領土返還」叫び続けている。それを否定する日本人はいない。北方四島住人は、日本返還を望んでいない。根は同じなのである。問題は、主張の仕方なのかもしれない。
台湾問題の前には、香港問題があった。香港の一国二制度は、返還(1997年)から50年経過すれば、自動的に終了する。それまで待てば、国際的な批判を受けることなく、香港は大陸中国(共産主義)に飲み込まれる。
「なぜ、それまで待てなかったのか?」
香港人は政治的な自由を失ったが、大陸中国は、香港の経済的価値を失った。(金融など外資、人財の流出) 加えて台湾、西側世界の警戒を最高に高めた。
「台湾を第二の香港にしてはいけない」
一国二制度の終了を待てなかったのは、“ハチミツの好きなクマさん”(習って、近くて、平ら)だろう。香港、マカオ、台湾を含めた“中国本来の領土”を奪回し、「中華民族の偉大な復興」を自らの手で実現したい政治的な個人の野心じゃないのか。
話を冒頭に戻すと、アメリカの強気なおばあちゃん(ナンシー・ペロシ米下院議長)の訪台の理由も、クマさんの野心と根は同じ、自らレガシー作りとも言われている。政治屋(敢えて政治家と表記しない)とは、そのようなものなのか?
旅は続く