Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/蓼科 第3回

2022-08-12 17:13:11 | 旅行

2022年の記録

7月中旬、息子夫婦の新築宅を見に長野県箕輪町を訪問した道中の記録。

 

 

清涼な信州の空気感を感じて頂ければ、幸甚!

 

 

栃木県下野市から箕輪町までは、北関東道~関越道~上信越道~中部横断道~一般道のレギュラールート。佐久平ハイウェイオアシスでの仮眠もいつも通り。(夜10時すぎに下野市発、昼前に箕輪町着)

 

 

メルヘン街道の小海町千代里付近で日の出を迎える。東の空が明るみ、次第に橙色に染まる、何度眺めてもドラマチックだ。

 

 

早朝の御射鹿池、いつ来てもハッとする清々しい風景が広がる。但し、富士山、蓮の花に通じる誰でも様になる写真が撮れる、ただし、その域を超えることが、果てしなく困難な被写体だ。

 

 

蓼科大滝は、ガイドマップに掲載されているものの観光客の少ない穴場的なスポットだ。正直なところ、蓼科大滝や滝から流れ出た渓流は、日本各地にある滝、渓流と大差ない。しかし、滝までの遊歩道の山側には、もののけ姫を思わせる森林が広がる。

 

 

夏の高原を象徴する霧ヶ峰。遠く富士山の山影を望む。ニッコウキスゲは、最盛期をすぎていたものの緑の絨毯に鮮やかな黄色い花が映える。

 

 

【メモ】

8月6日広島市、9日長崎市の原爆記念日、そして、まもなく終戦記念日(15日)。今年は、ロシアのウクライナ侵攻、ペロシ氏訪台対抗軍事演習といやでも“戦争”を意識せざるを得ない。約80年前、日本も戦争の当事者だったものの我々日本人の大半は、幸せなことにリアルな戦争を知らない。

 

僕の父親は、太平洋戦争に出陣している。実際、父親の脛には、鉛色の散弾銃の弾痕がいくつもあった。しかし、父親は、戦争のことを語ろうとしなかった。僕が知っていることは、戦闘機で沖縄上空を旋回してきたこと、そして、忘れられないひと言、「俺は東大生だったので、特攻隊に選抜されなかった。学歴のお陰だ。」 終戦直前、父親は東京帝国大学の学生として出陣した。軍幹部も終戦(敗戦)が近いことを承知していたので、戦後の日本復興の担い手となるだろう高学歴エリートの命を特攻で海の藻屑にできないと考えたのだろう。「東大卒がみんな幸せで、中卒はみんな不幸か?」と大学進学を拒絶する僕に思い余って放ったひと言である。戦争体験の継承といったジャンルの話ではないかもしれない。しかし、僕にとっては、父親に聞いた唯一の戦争の話である。

 

 

旅は続く