2022年の記録
白山市の仕事が昼すぎに終わり、金沢市内を散策した時の記録。
金沢というと、兼六園、ひがし茶屋街、金沢城・・・・・と、“和”のイメージだが、どうして、どうして、美しい西洋近代建築がある。やっぱり、赤レンガ建築は、美しい。
午前中に訪問、打合せした小松市内の取引先から金沢に戻り、遅い昼食を摂る。(昼食のことは後述) 昼食後、午前中の報告書を手際よくまとめ、陽が少し陰りだした15時すぎに散策に出発。
(ほんとうは、終日白山市の取引先3社の訪問予定だったが、コロナ感染拡大による来客自粛申し入れがあり延期となった。)
四高記念文化交流館は、1891年(明治24年)に旧第四高等中学校本館として建設された。その後、金沢大学理学部、金沢地方裁判所、石川県立郷土資料館として保存・活用された。1969年(昭和44年)に貴重な煉瓦造りの初期公立学校であるとして重要文化財に指定された。
石川県政記念しいのき迎賓館は、旧石川県庁として1924年(大正13年)竣工。石川県内の建築物としては初めて鉄筋コンクリート構造を採用したもので、日本国内では最古となる鉄筋コンクリート構造の県庁舎である。
石川県文化財保存修復工房は、1997年(平成9年)に石川県立美術館の付属施設として建設されたもので、歴史的建造物ではないが、外壁に漆喰、自然石を用い、銅板噴きの勾配屋根が美しく、広坂の交差点から急な坂を登った右手の木立の中にある。
国立工芸館の正面向かって右側の旧陸軍金沢偕行社※は、木造瓦葺き2階建ての建物で、1909(明治42)年に金沢市大手町に建てられたが、1970(昭和45)年に現敷地内に曳家された。マンサード屋根やドーマー・ウィンドウ(屋根窓)、コリント式のピラスター(壁面より浮き出した装飾用の柱)など、高度な洋風建築の技巧が用いられている。1997年(平成9年)登録有形文化財に登録された。
※「偕行社」とは陸軍の高級将校集会所=将校クラブのことである。
国立工芸館の正面向かって左側には、1898年(明治31年)竣工木造2階建て瓦葺の旧陸軍第九師団司令部庁舎で、簡素なルネサンス風の外観を特徴としている。1968年(昭和43年)に現在地に移転された際に、両翼がほぼ半分に切り縮められた以外は、ほぼ創建時の姿をとどめている。旧陸軍金沢偕行社と同時期の1997年(平成9年)登録有形文化財指定された。
国立工芸館の南東にならぶ3棟の赤レンガ倉庫は、1909年(明治42年)から1914年(大正3年)に建てられた金澤陸軍兵器支廠の兵器庫3棟(旧陸軍九師団)で、1990年(平成2年)に国の重要文化財に指定されている。
赤レンガ倉庫から北陸学院ウィン館に向かう途中、飛梅・北陸学院前交差点に聖ヨハネこども園があった。もちろん、歴史的建造物ではない。日本聖公会金沢聖ヨハネ教会が運営する一時保育施設であるが、アントニン・レイモンド※風の特徴的なシルエットにシャッターをきった。
※アントニン・レイモンドは、チェコ系米国人建築家で、来日し、多くの洋風建築を残している。
ウィン館は、アメリカ人宣教師トマス・ウィンが1888年(明治21年)に建築したコロニアル・スタイル(独立前の米国植民地風)の洋風建築である。ミッション・ハウスとして、彼の家族をはじめ宣教師家族の宿舎として、また、1892年からは、妻のイライザ・ウィンが孤児院として使用した。ウィン夫妻が大阪に転任となった後は、1北陸学院保育短期大学附属第二幼稚園の園舎として使用された。現在は、北陸学院ウィン館となって一般公開されている。
金沢くらしの博物館(旧石川県第二中学校校舎)は、洋風木造建築(通称・三尖塔校舎)として、1899年(明治32年)に竣工。2017年(平成29年)国の重要文化財指定。
金沢くらしの博物館前にバス停があり、金沢駅に行く北鉄バスが丁度来た。昼食で行った「味処・たか木」、機器故障でクレジットカードが使えず小銭を使い果たしてしまっていた。Suicaが使えれば良いのだが、悲しいかな北鉄バスでは使えない。やむなくJRバスを探し、しばらく歩くことに。こんな時に限って、コンビニも見あたらない。でも、時間にも体力にも余裕あって良かった。(懐には余裕なくタクシーは使えず・・・笑)
最後に昼食の「たか木」の日替わりランチの写真をアップする。「味処・たか木」は、金沢で、食事をするときに行くお気に入りの居食屋だ。家庭的で、適度なボリュームで、リーズナブル、おすすめだ。
【メモ】
午後に金沢を散策した夜、GooBloogがきっかけで、繋がった“りくすけさん”と、はじめてお会いした。想像していた通りの博識で穏やかな紳士だった。
ここ十数年、インターネットを媒介に繋がった友人が増えた。年数回ほどリアルに会い、あとはメールで交流するスタイルの良い関係を継続している。インターネット繋がりの友人の影響は大きく、時として、僕の人生の新しい可能性へと導くこともある。
20年ほど前にPCのレクチャーをしてくれた上司の言葉を思い出す。「Windowsって、世界が見える窓だぜ。でも、窓から眺めているだけじゃダメだ。窓から見えたものを確かめに行くんだよ。」
インターネット(SNS)を起点とした交流が、犯罪被害の起点になっているとネガティブな議論がある。そのような側面が少なからずあると僕も思う。だから「SNSは危険だ」、「未成年者には使わせるべきじゃない」といった考えは、違うと思う。「ナイフは危険だから子供に使わせるな」と同じロジックだ。リスクをゼロにすると、将来の可能性もゼロにしてしまうのではないだろうか。
旅は続く