Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第20回

2022-08-06 10:21:26 | 旅行

2022年の記録

記録的酷暑が一服した7月中旬、赤レンガ建築が見たくなり、会社帰りに慶應義塾大学・三田キャンパスを訪問した時の記録。

 

 

 

 

職場のある東京駅から京浜東北線でワラビスタンと逆方向に4駅、8分で田町駅。三田、白金、高輪、広尾、麻布、六本木・・・・・、僕が最も疎い東京である。

 

 

コロナ禍に突入してから大学など教育施設への見学は軒並み禁止となった。そりゃ、学生に登校制限しているのだから「一般見学者お断り」は当然。コロナ禍が過ぎ去るまでお預けを覚悟していたが、慶應義塾大学三田キャンパスの見学解禁を知り訪問することにした。

お目当ての図書館旧館(福澤諭吉記念慶應義塾史展示館、カフェ八角塔)に近い東門(東館⑬)まで、田町駅から約10分。開放時間内であるが、門は閉じられていた。やっぱり、ダメか?

 

 

ダメもとで正門(南門 ⑰)に行ってみると、問題なく入校できた。良かった!

 

 

正門を入り、南校舎(④)を抜けて、突きあたりを右進むと、竣工1926年(大正15年)塾監局(⑫)がある。珍しい黄色レンガ建築である。一見の価値ある美しい建物だ。

 

 

慶應義塾図書館・旧館(⑪)は、創立50周年記念事業として、1908年(明治41年)に起工、1912年(明治45年)竣工している。関東大震災(1923年)、東京大空襲(1945年)という二度にわたる大災害をくぐり抜け、建設当初の華麗な姿を留めている。赤煉瓦と花崗岩による壮麗な外観を有しており、ゴシック様式の洋風建築である。塾監局とも甲乙つけ難い美しさである。1969年(昭和44年)、国の重要文化財指定。

 

 

美しい近代建築を拝見し、正門に戻る途中、右奥手にある三田演説館(⑮)に寄った。アメリカから取り寄せられた図面を基に造られており、洋風でありながら外観は木造瓦葺、なまこ壁といった日本独特の手法が用いられている擬洋風建築である。(1875年/明治8年起工) 建設当初は旧図書館と塾監局の間にあったが、1924年(大正13年)に現在の場所に移築された。1967年(昭和42年)、国の重要文化財指定。

 

 

慣れたワラビスタンに帰還、写真は、ワラビスタン西方の新幹線、埼京線高架橋と夕焼け。

 

 

【メモ】

ナンシー・ペロシ米下院議長の訪台で、台湾周辺が騒がしくなった。

結局のところ、領土問題は、人類永遠の課題か? 事実は1つでも、対立する両社の認識は、1つにならないものだ。

中華人民共和国(以下中国)にとって、「台湾問題は、中国の国内問題」。台湾は、中国固有の領土と考えているからだ。中国共産党だけの見解ではない、多くの大陸中国人民も同じ見解だ。「それ、違うだろ!台湾の人だって、中国に飲み込まれることを望んでいないよ。」と考える日本人は、西側の人間だからだ。

北方四島を“日本固有の領土”と考える日本人は多い、中国のような手荒なことはしないものの「北方領土返還」叫び続けている。それを否定する日本人はいない。北方四島住人は、日本返還を望んでいない。根は同じなのである。問題は、主張の仕方なのかもしれない。

台湾問題の前には、香港問題があった。香港の一国二制度は、返還(1997年)から50年経過すれば、自動的に終了する。それまで待てば、国際的な批判を受けることなく、香港は大陸中国(共産主義)に飲み込まれる。

「なぜ、それまで待てなかったのか?」 

香港人は政治的な自由を失ったが、大陸中国は、香港の経済的価値を失った。(金融など外資、人財の流出) 加えて台湾、西側世界の警戒を最高に高めた。

「台湾を第二の香港にしてはいけない」

一国二制度の終了を待てなかったのは、“ハチミツの好きなクマさん”(習って、近くて、平ら)だろう。香港、マカオ、台湾を含めた“中国本来の領土”を奪回し、「中華民族の偉大な復興」を自らの手で実現したい政治的な個人の野心じゃないのか。

話を冒頭に戻すと、アメリカの強気なおばあちゃん(ナンシー・ペロシ米下院議長)の訪台の理由も、クマさんの野心と根は同じ、自らレガシー作りとも言われている。政治屋(敢えて政治家と表記しない)とは、そのようなものなのか?

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野探訪記 第8回

2022-08-01 23:00:00 | 旅行

2022年の記録

北関東で記録的酷暑が続いた7月初旬、前回の蔵の街・とちぎの散策で行けなかったところを散策した時の記録。

 

 

 

 

栃木市役所(旧福田屋百貨店)の立体駐車場にクルマを停めて、前回の散策で訪問できなかった旧栃木市役所別館(旧栃木町役場庁舎)を中心に炎天下を1時間ほど散策した。

 

 

1921年(大正10年)竣工の木造2階建塔屋付き洋風建築の旧栃木市役所別館(旧栃木町役場庁舎)は、リフォーム&リノベーションして、栃木市立文学館として活用されている。1989年(平成元年)に国の登録有形文化財に、2017年(平成29年)には市の有形文化財に指定された。

 

 

旧栃木市役所別館の道路をはさみ反対側に建つ日本聖公会・栃木聖アルバン教会は、明治期末期の伝道開始からの歴史ある教会。現在の礼拝堂は、1990年(平成2年)竣工。

 

 

栃木県立栃木高校内には、3つの登録有形文化財がある。

旧栃木県尋常中学校栃木分校本館: 1896年(明治29年)竣工、木造2階建瓦葺

旧栃木県立栃木中学校講堂:1910年(明治43年)竣工、木造平屋建瓦葺

旧栃木県立栃木中学校記念図書館:1914年(大正3年)竣工、木造2階建瓦葺

コロナ禍以降、現役の教育施設であるためか観光ルートから外されている。息子の母校であることもあり、僕は何度も訪問している。今回は、正門から眺められる記念図書館のみを写真に収めた。

 

 

天海(あまがい)家住宅店舗の隣に最近の建築であるが、品の良い、蔵の街にマッチした一般住宅があった。用水濠の流れが清々しい。

 

 

天海家住宅店舗は、旧例幣使街道に東面して建つ。天海家は、明治中期頃まで麻苧商,のち材木商に転じた旧家。木造2階建、瓦葺、国指定有形文化財。

 

 

岡田記念館は、江戸時代初期に岡田嘉右衛門が開拓した嘉右衛門新田村を起源とし、旧日光例幣使街道に沿って商家の面影を残す住宅群である。敷地内に写真の市村理髪館もある。

 

 

写真の平澤商事も肥料店だが、栃木市街には、やたらと肥料店がある。重要文化財に指定されている旧家でもある。農産物の集積地は、そのようなものなのかかもしれないが、ほんとうに多いのだ。

 

 

【メモ】

先日、NHKの特番で、日本の製造業復活を期待させる報道をしていたので、ひと言。特番の内容は、中国企業が日本の上質な労働力の活用目的に日本にマスク工場を作った、というもの。中国の人件費が上昇し、日本の人件費との差は約3割、不良率、日本国内の検品、日本製はプレミアム価格で販売できることを考慮すると、日本に工場を作った方が、利益が出ると解説している。間違いないロジックであるが、マスク製造のような労働集約型の製造業に必要な労働者を集められるのかには触れていない。マスク製造のような労働環境に比較的恵まれている製造現場など、製造業全体から見るとレアケースだ。そもそも、日本人の人口減と製造業離れから日本製造業の労働力は、外国人技能実習生頼りが現実だ。視聴者に日本の製造業復活を想起させるような都合の良い部分だけ報道し、ネガティブな面に触れないのは、如何なものか?

 

 

旅は続く