<管理人より>
「生協だれでも9条ネットワーク」結成の呼びかけ人でもある斎藤嘉璋さんからご寄稿いただきました。以下、ご紹介いたします。
「9.19国会正門前行動」の終了後、世話人会が開催されます。その折の話題にもなるかと、9・19から1年を迎えての私の感想文を書きました。世話人の皆さんをはじめ「ネットワーク」の活動に参加してきた皆さんからも寄稿していただいてブログ上で交流できるといいなと思っています。それでは9・19行動で会いましょう。
「“9・19”戦争法強行採決から1年を迎えて」 斎藤 嘉璋
昨年9月18日の夜、私は“生協だれでも9条ネットワーク”の皆さんと一緒に国会前行動に参加していましたが、参議院安保法特別委員会での自民・公明両党の「強行採決」の暴挙は映像と国会前集会での野党代表からの報告で知り、怒りをもって受け止めました。集会の参加者はじめ多くの抗議の声が高まる中で戦争法は19日未明に本会議にかけられ可決されましたが、19日の国会前集会ではこの暴挙は許せない、戦争法は認めない、廃止まで戦いを続けるということを主催各組織と野党4党から提起され、「そうだ」と私たちも呼応しました。
そのとき思い起こしたのは1960年の新安保条約の国会審議も衆議院に警官隊を導入し、混乱のなかで「強行採決」されたこと、それを契機に運動が一層広がっていったことでした。
60年安保当時、大学生協東京地連の責任者として生協の仲間と一緒に連日国会に行っていた関係で、その頃の資料を調べてみると、新安保条約は1960年5月19日の衆議院特別委員会で「議場騒然聞き取り不能」のなかで承認され、本会議では「座り込む野党議員を警官隊がゴボウ抜き」するといった混乱と野党と自民党議員の一部も欠席するなかで自民党の単独採決で承認されました。
それまでに安保改定阻止国民会議(社共両党、総評など)の集会や国会陳情行動などの統一行動は15次まで行われ、請願署名も1,350万筆を超え、世論も新安保不承認、岸内閣不支持が多数になっている状況下での暴挙でした。これを契機に運動は「民主主義を守れ、岸の独裁を許すな」と新たな大きなうねりになっていきました。当時、運動に参加した多くの学者・文化人の一人である日高六郎東大教授は「1960年5月19日は1941年12月8日とならんで、国民にとって忘れることのできない日となろう」と書いています(岩波新書「1960年5月19日」)。
5・19以降、「安保反対・平和を守れ」に「民主主義を守れ、岸やめろ」のスローガンが加わり、学者・文化人はじめ主婦や高校生など市民層の参加が増え、6月3・4日に開催された日本生協連総会でも緊急動議が採択され、総会参加者は国会請願デモに参加しました。新安保条約は1か月後に参議院で「自然承認」となりますが、前日の6月18日は国会請願デモが33万人に達し、22日の第19次統一行動には総評のスト(111単産620万人)と国会・都心デモ(12万人)が行われ、さすがの岸首相も辞任に追い込まれました。
昨年の9・19は憲法違反の戦争法が世論無視の反民主主義的手法で「強行採択」された日として忘れてならない日です。以降、総がかり実行員会は戦争法廃止・発動阻止、立憲主義・憲法擁護などの取り組みを市民と野党との連携をさらに強化しつつ進めるとして、毎月19日の集会を軸に運動を継続、強化し、私たちもその活動に参加してきました。60年安保闘争は5・19以降に大きな盛り上がりを見せましたが、岸退陣で国民会議は解散、各政党、諸団体の共同も解消していきました。
今回の運動の60年安保との最大のちがいは、9・19以降、運動に参加してきた人々、諸団体が民主主義の主体として政治を変えるのは自分たちだという自覚のもと、政治を変えるには政党にも変わってもらわないといけないと野党に迫り、参議院選挙での野党共闘を実現させたことだと思います。市民の力で選挙のあり方を変えたのは画期的な事です。
この間の総がかり行動実行委員会を中心とする取り組みでは、昨年の8・30国会前の12万人集会、その時の全国1000か所での取り組みが最大だったと思いますが、60年安保のころの国鉄・私鉄のストをふくむ統一行動などの迫力はありませんでした。しかし、総評や全学連といった実行組織がないなかで、署名運動などもふくめよく多くの市民の中に運動は浸透したと思います。総がかり行動実行委員会のほか9条の会など活動歴のある組織にSEALDs、学者の会、ママの会、立憲デモクラシーの会などが加わり、それらの総意として市民連合が4野党に共闘を呼びかけ、参院選で一定の成果をあげ、それが衆参で3分の2となった改憲勢力に最大の圧力となっていることは大きく評価されます。
「戦争法を施行させない・廃止する、立憲主義を取り戻し憲法を守る」ことを軸に共同できる課題で野党共闘を進めさせ、衆議院選挙でも野党共闘を実現させることが今後の課題です。それは政党や国会での課題ですが、これまでのように中央、地方でのさまざまな個人、組織の取り組みがないと進みません。そのことに関して前記の日高さんは「(当時の)社会党は選挙得票の0.5%しか党員がいない。日本ではまだ近代的な政党政治になっていない」と書いていますが、55年後の現在も同様です。
野党の多くが理念・政策にあいまいさがあり、党員など支持組織に弱さがあり「浮動票」で選挙が左右される政治状況は変わっていません。それであるからこそこれまでの運動に参加した市民、私たちが共有する政治課題で外から声をあげ続けることが必要なのだと考えます。総がかり行動実行委員会の諸組織や市民連合の今後の取り組みが、掲げている要求課題の実現とともに、その過程で日本の「近代的な政党政治」が確立され、平和・民主の立憲主義政治が実現していくことになるのではないか、それが私の今後の運動への期待です。
(2016年9月13日)
※上の写真は「ジャポニカ学習帳」ジェネレータで作成されたものです。Facebookで拡散されていた画像から拾いましたが、よくできてます。