(「バックパッカーの旅」カテゴリーは大学生時代の回想シリーズです。本文中の名前はだいたい仮名です。タイの通貨1Bバーツは当時3円程度。ラオスの通貨はKip。 1円=60kipくらい。前回までの話はこちら)
パクベンの朝も早い。
6時頃起きてぶらぶらと青空市場へ行き、この町の女性が皆履いている巻きスカートを売っているお店へ。一枚布で売っていて、裾の模様のあるところや端っこは自分で縫ってから着るらしい。黒なら日本でも着れるかな・・・と見ていると、おばあちゃんたちが集まってきて口々に黒はダメだ、赤が似合う、と言っている(ようだ)。勧められるままに赤い巻きスカートを買って(23,000kip)、着方も教えてもらう。
両替もする。1B=190kip、またレートが良くなった😳
ゲストハウスに戻って荷物のパッキングをしていると、開けっぱなしのドアから女の子が2人、じーっとこっちを見ている。ガイドブックを見て「チャオスーニャン?(あなたの名前はなあに?)」と聞くと、2人とも恥ずかしそうに名前を教えてくれる😊
持っていた動物や星のシールを手の甲に貼ってあげると『コプチャイライライ❣️(ありがとう❣️)』と☺️かわいい。
イミグレでポリスチェックを受けてBooking office(といっても屋根があるだけの東屋)へ行くと、今日はスローボートが出るとのこと。ルアンパバンまで21,500kip。
乗客は私、オーストラリア人カップルのベン&ロイ、ファンキーなロンドンお兄ちゃんs、フランス人夫妻、フランス人カップル、スウェーデン人の女の子2人、アメリカ人カップル、白人男性1人、他はラオ人。
スローボートは小さめの屋形船のような形。スピードボートと違って、屋根もあるし、ゆっくりメコンを眺めながらの旅・・・これはいいなぁ〜と思った(最初は)。
隣でアメリカ人の女の子がノートを開いて何か書いている・・・ふと見ると、『三位一体』😳とか書いているのでびっくりして「日本に行ったことがあるの?」と聞くと、すごく興奮して日本語で
『私は埼玉に住んでるの❣️日本語話したい❣️嬉しい❣️』と喋り出す😅
彼女の名前はスーザン、カリフォルニア出身でニューヨークの音大を出て今は日本の高校で英語を教えている。一緒に旅行中の男性はボーイフレンドではない。知り合い程度だったが少し前にe-mailが来て、一緒にコーヒーでも飲もうよ、と誘われた。しかし自分は日本、彼はアメリカに住んでいるのでラオスで待ち合わせてコーヒーを飲むことにした・・・と、この辺りは英語で説明してくれる。
ふむふむ🤔つまりこの旅でカップル成立予定ってことね?
ファンキーなロンドンお兄ちゃんsはさっさと船の屋根に登っている。私もスーザンを誘って屋根によじ登ると、スウェーデンの女の子たちやベン&ロイも登ってくる。風が気持ちいい。
ここは船の屋根の上。
しかしスローボートは長いながーーーい船旅。
8時半に出発してお腹ぺこぺこになった14時頃、やっと小さな村があるらしい砂地にとまる。一軒だけ、海の家みたいな食堂(小屋)があって丼にスープとインスタント麺を放り込んで蓋をしただけのもの(3,000kip、50円・・・だけどラオスの物価から考えるとこれは高い💦独占企業だからなぁ💦)を食べる。欧米人はライスのみ、に、ナンプラーなどの調味料をかけて食べている。欧米人にとっては米は野菜、というのでサラダ感覚なのかな。
船が岸を離れる時には川で遊んでいた子どもたちが船を押し出してくれる。タイもラオスも、生活の中で子どもたちがごく自然に仕事を手伝っている。
ここからさらにまた長い船旅。
ようやく10時間かけて18時半にルアンパバン到着。
スローボートの旅はのんびりとして良かったけど、長すぎて後半は頭痛に悩まされて辛かったそしてここからしばらく頭痛と付き合うことになった。