読み終わったぞー。2回目を、今、読み終わりました。
三体Ⅱを読んだ時点で、Ⅲは果てしない未来か遠くの宇宙の話で、現代の地球とは全然関係のない話になるんだろーなー、って思ってたけど、
いきなり十字軍時代の話から始まって度肝を抜かれる。登場人物の多くも西暦人で、感覚的にはそう遠からずだったかも。ものの表現に現代のもの(「クレジットカードのようなもの」とかね。)が出てきたから、読者に分かりやすくするためには、登場人物も西暦人の必要があったんだろうなー、と思う。
個人的にはⅡの方が面白かった。
Ⅲは、とりあえず、主人公にあまり魅力を感じない。なぁ。だなぁ。一生懸命生きているチェンシンには申し訳ないけど。
あとあれですかねー、遠すぎて!時間的にも、空間的というか、空間感覚的にも。
1回目は時間の感覚がイマイチ掴めなかったんだけど、2回目はバッチリだったゼ👍
それにしても、そこまで発想を、しかも具体的に飛ばせる著者の想像力はすごいなーとは思うけどね。
科学とか、物理学とかも、もはや手の届かない所に行っちゃって、
物語の中でも「この宇宙の現象が、誰かの手で改変されたものでないと、なんでわかる?」みたいな内容があったと思うけど、
そうなったら、もう、お手上げですよねー。
いや、そこでお手上げする人と、その中でなお、科学する人がいて、物語が続いた感じですけど。
物語の途中で「お、コレは『進撃の巨人』とテーマがかぶるぞ」と思った。進撃の方はまだ、結末を知らないんだけどー。
「壁の中で、新しい知識を入れず、平和に暮らす」
or
「確実に争いが待っているけれども、新しい情報・知識を手に入れるため、外の世界に繰り出す」
これは、たしかに悩ましい。軽く考えれば、私は確実に後者を選ぶけど(だって、たくさんの事を知りたい!)、でも、平和には代え難い??代え難いねー。2回目の決断の時、チェンシンの立場なら、同じ判断を下すんだろうと思った。
2択でなければ良いのだけれどもね。
さて、1回目を読み終わった後に、『前科者』を見ている。
そして、「そっか、生きる理由は、自分で決めていいんだな」という感想(?)を持っている。
これには、たぶん、この本を読んだ影響があると思うぞー。