「おのこもすなるにっきというものを おんなもせんとてすなり」
という文章を、学生時代に習った覚えはあって、なるほど、平安時代にかな文字ができて、女性も文章を書くようになった転換点として、大事だから習ったんだな。
って、思ってた。
『土佐日記』の冒頭だった。土佐日記の著者、紀貫之じゃーーん!!男じゃーん!!
ってのが、最初の衝撃。
続いて、本編に入る前に、紀貫之による序文がある。私が理解したのはこんな感じ。
世の中は漢語ができる男が重宝されている。私も漢語ができなくはないけど、漢語ができる男は溢れかえっているから、得意としているやまとことばや和歌を磨いてきた。でも、やまとことばの地位はあがらない。和歌に親しんでくれる天皇や、和歌に親しむ自分を盛り立ててくれる友達もいたけど、亡くなってしまった。ちなみに、土佐に赴任になったのは、おそらくその友達のおかげだろう。任官されるだけでありがたいことだ。
私は漢詩を書くことももちろんできるけれども、普段使っていることばではないから、どうしても、気持ちの全てを漢詩で表す事ができない。そこで、仮名文字で、気持ちを表すことを考えた。仮名文字で書くのは女性である。だから、女性の身になって、土佐からの船旅を、日記として書こうと思う。
船には沢山の人が乗っていた。色々な人の事を書くけれど、それは、「だれ」ということはない。また、書いている「わたし」も誰かに固定しているわけではない。だから、女性として書くと言ったけれど、その時その時で、男性として書いていることもあるかもしれない。
ほうほう、自分の気持ちをあらわすのに、しっくりくる言語があるとかないとか、この時代の人でもこんな事を考えていたんだなぁ。 と、感心した。
さて、本編にはいると、
「船の長(である私)がこう詠んだ。」
「男の人なら漢語がわかるからこういう時漢語で書くのでしょうが、わたしは漢語が分からないから、きいた音をひろって書いている(しかし、書いている私は男であるから、本当は漢語で書けるけれども、おんなの設定で書いてるから、かなでかくのだ)」
「ある人(じつは私だ)がこう詠んだ」
「嫗女がこう詠んだ(じつは私だ)ので、歳をとっていても上手に読むものだと、みんなでほめそやした」
「この船の長は風流など解さない人だが(そんなこともないのだが、文章の中で自分のことを貶めておくのも必要だろう)」
とか、()書きで本人による注釈が入りまくるので、ツッコミどころ満載である。
序文で書いてるんだから、本編では書かなくていーじゃーん。
こんな設定がしっかりしていない文章でも、読み継がれる名作なのか。最古の日記小説だから?いや、当時はこういう手法が浸透していなかったから、本文中でも、こういう設定ですよと、伝える必要があったのか?
と、いうか、「これは他者が詠んだ歌ではないですよ。私が詠んだ歌ですよ」と、念をおしておきたいようにしか見えない。この素敵な歌の手柄を手放したくないように感じる。
でも、そうか。土佐の任を解かれて都に戻っても、自分の才能をわかってくれる天皇も友達ももういない。これからの、自分の人生を考えると、自分の才能を誇示せずにはいられなかったのか。
なんて、色々考えながら読んだんですけどね。
訳者後書きまで読んだらですね、
序文も、本編中の()書きも、訳者が作ったっていうじゃありませんか。
ナーーーーヌーーーー????
やっちまったなぁ!!!
やめてよー、そういうの。
なら、訳者の注としてつけてよー。
いろいろむだに考えちゃったじゃーーーーん!