土手猫の手

《Plala Broach からお引っ越し》

「……デッサン」の行方

2010-11-18 10:50:24 | 本・映画
いよいよ神保町シアターでの上映も、今日明日の二日間という事で。


「森崎書店の日々」

話はオーソドックスな、ある種ステレオタイプな成長譚なのですが。
とにかく、主演の菊池亜希子さんの演技というか物言い、口調がごく自然で。その、日常を切り取った感、彼女の瑞々しさが、この映画を「普通」でありながら(別の意味で)普通ならざるものにさせています。

個人的に気に入ったのは。
貴子の『はえっ!(早い)』というアドリブ(?)。
(ノンフィクションの科白?言葉の様だった)
一体どこまでが科白で、どこからが、と思わせる普通さ(リアル)なのです。

対照的に。サトル役の内藤さんが(露出度・ベテラン故)内藤剛志然として見えてしまうのが、気になったのですが。
これは私の主観という事で、ご容赦を。



狭い森崎書店内を写すカメラ(画面)、鏡やガラスの映り込みを使った映像。風・日射し・雨等見せる、感じさせる細やかな演出。
ピアノ一本のテーマ(挿入)曲等、極力余計なものを排して、映像の力で見せる作りが、街を撮るというもう一つのテーマにも適っていると思いました。


それから、これは深読みというか、余談ではありますが。
画面では明かされない本の値段と、それにまつわるエピソードについて。

貴子が値段を決めた本を、手に取る客として出て来るだけの人物に、そのワンシーンのみの出演(殆ど顔も映らない)に吉沢悠さんを配しているのは。
迷ったあげく買わずに帰ったその後を、おそらく又(程無く)来るであろうと想像出来る彼を、彼との今後ももしかしたら?
をも想像させる、ちょっとした……監督の計らいでしょうか。

ラスト近くの僅かの出演(故)に、そんな気がしたのですが。
その「余地」が小説的で。

鉛筆を走らせる手なりでしか想像し得ない値段の、本は……

と共に。余韻を残す作りになっていて良かったです。



映画は、貴子の時間と神保町(やや雰囲気的)を丁寧に追ったもので。
流れて行く時間を慈しむ。そんな眼差しで撮られた作品でした。

取り急ぎ(?)かいつまんで。



追記。
「……デッサン」しか見えなかった本は、
「愛についてのデッサン」野呂 邦暢・著 の様です。


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