先日スタジオから銀行にいくために徒歩で町(駅前)にでるとき、ちょっとパラパラっと雨が降ってきていたのだが傘をもたずに出かけた。
案の定、オカダヤで衣装の生地をあれこれ悩んだ末に出てきた時にはざんざんと降っていた。
通行人は皆傘をさしていた。
「大人とは傘を携帯するもんなんだなあ」としみじみ思いつつ、濡れながら銀行へ、そしてスタジオに戻った。
それで思い出したことがある。
高校生の頃、自転車通学をしていたのだが、ある日天気予報が雨だったのでバスで行く事にした。
家を出るときには降っていなかったがバスを降りる時にはどしゃ降りだった。そして私は傘をもっておらず、朝からびしょびしょになってしまった。
自転車で行かずにバスにしたという時点で「雨が降る」という前提だろうに傘をもたないのは「バカなんじゃないの?」の一言で片づけてもいい愚行である。
でもその時もあまり「ああ!!私はなんて馬鹿なんだ!!」とは思わなかったし、今回も「みんなエラいなあ」と思っただけである。
更に言うと、こういう「傘をもたずに出て、雨に降られる」ということはいくらでもあって、その理由は、出掛けに雨が降っていないときはほとんどの場合傘をもっていかないからである。
一体どうしてだろう?
面倒くさいのだ、と思っていた。傘は重いし、かさばるし、どこかに忘れそうだ。
しかし、先日スコールみたいな雨にやられたとき、ふと違う理由がひそんでいることに気がついた。
先日、子(上)の買い物で町(駅前)に出て店を出ると、ものすごい夕立になっていた。
子のスイミングの時間がさしせまってたのでマツキヨで傘を買って、ふたりでひとつの傘をさしてスイミングクラブまで歩いて行ったのだが、そのときわたしは何度も何度も傘を放り出して雨の中歩きたい、と欲望したのだ。
まさにバケツをひっくりかえした、という表現がぴったりの夏の雨。
この雨は、傘などという姑息なものを頭にのっけて防げるスケールではない。事実、わたしは半身ずぶぬれだった。こんな姑息な道具なんか放り出して、堂々とずぶぬれになって大声で歌おうか!!!
そしてやはり高校生のときを思い出す。
帰宅時にざんざん降りになっていても、わたしは乗ってきた自転車を置いて帰ったりはしなかった。カッパもないままに自転車にまたがり、そんなときは通行人も少ないから大声で歌って帰ったものだ。歌は、もちろん雨のうた。
「あいむしーんぎいんざれいん!!(I'm singing in the rain)」とか「れいんどろっぷほーりんおんまいへっ!(Raindrops are falling on my head)」とか映画の主人公になりきって!!
小雨は憂鬱だが、大雨は逆にゴキゲンであった。自動車が横を過ぎる時、盛大に水をはねかして、それを被ってしまっても「うわははははは!!」と笑ったものだった。
わたしたちは、都会に暮らしている。
そこにある自然は、人間の都合のよいように飼いならされた自然ばかりだ。
だけど、太陽と雨は、田舎も都会も関係なく注ぐ。
傘なんかでどうにもならない雨のときは、せめてびしょぬれで大笑いして、自然の大きさを感じようじゃないか!!!
ひとり盛り上がった私は、横で歩いている子どもに叫んだ。
「ねえ!おかあちゃん傘やめて歩いちゃおうっかな!!?」
子の答えは「うん。別にいいけど、頭は濡らさないほうがいいんじゃないの」
その答えにちょっと冷静になった私はスイミングクラブまでおとなしく傘の中歩いた。
だけど、クラブからスタジオまでの帰り道、子よりも大きな小学生の男の子たちが傘をもっているのに、わざわざ傘を外して天に向かって「うおー!!」とか言っていたもん!!
わたし間違ってないもん!!
でも大人が傘を携帯しない理由として「雨に降られるのが好きだから」っていうのはイタダケケナイかもしれないな。
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写真はうちのビワの葉にいたカエルちゃん。
案の定、オカダヤで衣装の生地をあれこれ悩んだ末に出てきた時にはざんざんと降っていた。
通行人は皆傘をさしていた。
「大人とは傘を携帯するもんなんだなあ」としみじみ思いつつ、濡れながら銀行へ、そしてスタジオに戻った。
それで思い出したことがある。
高校生の頃、自転車通学をしていたのだが、ある日天気予報が雨だったのでバスで行く事にした。
家を出るときには降っていなかったがバスを降りる時にはどしゃ降りだった。そして私は傘をもっておらず、朝からびしょびしょになってしまった。
自転車で行かずにバスにしたという時点で「雨が降る」という前提だろうに傘をもたないのは「バカなんじゃないの?」の一言で片づけてもいい愚行である。
でもその時もあまり「ああ!!私はなんて馬鹿なんだ!!」とは思わなかったし、今回も「みんなエラいなあ」と思っただけである。
更に言うと、こういう「傘をもたずに出て、雨に降られる」ということはいくらでもあって、その理由は、出掛けに雨が降っていないときはほとんどの場合傘をもっていかないからである。
一体どうしてだろう?
面倒くさいのだ、と思っていた。傘は重いし、かさばるし、どこかに忘れそうだ。
しかし、先日スコールみたいな雨にやられたとき、ふと違う理由がひそんでいることに気がついた。
先日、子(上)の買い物で町(駅前)に出て店を出ると、ものすごい夕立になっていた。
子のスイミングの時間がさしせまってたのでマツキヨで傘を買って、ふたりでひとつの傘をさしてスイミングクラブまで歩いて行ったのだが、そのときわたしは何度も何度も傘を放り出して雨の中歩きたい、と欲望したのだ。
まさにバケツをひっくりかえした、という表現がぴったりの夏の雨。
この雨は、傘などという姑息なものを頭にのっけて防げるスケールではない。事実、わたしは半身ずぶぬれだった。こんな姑息な道具なんか放り出して、堂々とずぶぬれになって大声で歌おうか!!!
そしてやはり高校生のときを思い出す。
帰宅時にざんざん降りになっていても、わたしは乗ってきた自転車を置いて帰ったりはしなかった。カッパもないままに自転車にまたがり、そんなときは通行人も少ないから大声で歌って帰ったものだ。歌は、もちろん雨のうた。
「あいむしーんぎいんざれいん!!(I'm singing in the rain)」とか「れいんどろっぷほーりんおんまいへっ!(Raindrops are falling on my head)」とか映画の主人公になりきって!!
小雨は憂鬱だが、大雨は逆にゴキゲンであった。自動車が横を過ぎる時、盛大に水をはねかして、それを被ってしまっても「うわははははは!!」と笑ったものだった。
わたしたちは、都会に暮らしている。
そこにある自然は、人間の都合のよいように飼いならされた自然ばかりだ。
だけど、太陽と雨は、田舎も都会も関係なく注ぐ。
傘なんかでどうにもならない雨のときは、せめてびしょぬれで大笑いして、自然の大きさを感じようじゃないか!!!
ひとり盛り上がった私は、横で歩いている子どもに叫んだ。
「ねえ!おかあちゃん傘やめて歩いちゃおうっかな!!?」
子の答えは「うん。別にいいけど、頭は濡らさないほうがいいんじゃないの」
その答えにちょっと冷静になった私はスイミングクラブまでおとなしく傘の中歩いた。
だけど、クラブからスタジオまでの帰り道、子よりも大きな小学生の男の子たちが傘をもっているのに、わざわざ傘を外して天に向かって「うおー!!」とか言っていたもん!!
わたし間違ってないもん!!
でも大人が傘を携帯しない理由として「雨に降られるのが好きだから」っていうのはイタダケケナイかもしれないな。
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写真はうちのビワの葉にいたカエルちゃん。
そのあと仕事だったり、濡れては困る荷物を持っているときも、仕方なく傘をさします。
家の近所でうっかりどしゃ降りに遭遇したときは、大きな声で唄いながら、またはげらげら笑いながら、ざんざん雨を浴びてチャリで帰ります。けっして軒下で止み間を待ったりしないよ!
やはりなつこさん大人気ない大人だ!!
夏の雨はきもちいいですよね。冬はヤだけどね!!