発表会について書いて,コメントやメールをたくさん頂いて、またそれで考えました。
それでまず分ったこと。
1、自分のフラメンコの理想(目指すところ)を教えたいと思ってること
これは当たり前なのかもしれないのですけれど
「自分の感じるフラメンコ」を
「生徒さんの感じるフラメンコ」としたい。
2、私のフラメンコの理想とは?
ひとつになること。溶け合うこと。です。
ちょっと前までは、フラメンコというのは
ギターという個と、歌という個と、踊りという個、
それからパーカッションだとか色々要素がありますけれど
それが、全部「個」として存在していて、
その「個」がぶつかりあって共鳴する、
そういうイメージをしていました。
だからクラスでも「個」としての強さや意見の言い方を
しつこくやっていたわけなんです。
ところが今はどうかというと「個」ではなくて
ギターも歌もハレオもお客も、全て「ごっちゃ」というイメージです。
溶けあって、元々の「個の色」は分かんなくなっていて
ひとつの(それでいて複雑な)色に仕上がっている、
そういうイメージです。
だから、今はどちらかというと「個を消す」ための身体の用意、
「相手を取り込む」ための身体の用意、ということに焦点がきてます。
「ベースのパルマをたたきながら、自分の足を打つ」
ということを最近しつこくやっているのは
「ベースのパルマを、自分の中に作る」ということで、それはつまり、
「他人がたたいてるパルマを、自分の中に取り込める」
につながると信じています。
ひいてはそれが発展して「他人の出すギターや歌を取り込める」ということになると。
だから、現在の私のクラスは「そういうこと」ばかりやっているんですね。
これも、昨日気がついたことでした。
皆さんのお陰です。
あと、クラスでなくて、わたしの踊りの方向性で変わったことですが、
「足の難易度」ということ、前は結構気にしていたのです。
見た目のかっこよさ。
「あれは難しいだろうな」という足を選ぶこと。
今は全然気にならなくなっていて、
「気持ちのいい足をやる」ということだけになってきている。
(まるっきり「かっこよさ」を考えてないわけではないですよ)
「踊るたびに振付けが変わる」ということも
大事だと思っていたのですが、
全然重要だと思わなくなって来ている。
自分が飽きてしまっていたんですよ、前は。
同じ振付けだと、飽きてしまっていた。
今は、飽きません。だから平気。
「アドリブをかます」ということも同様。
アドリブを次々繰り広げてこそ、と思っていたけれど、
全然最近その辺の欲望がない。
決していつも「まるで同じ動き」をしてるわけではなく、
いわゆる「アドリブ」はやってるんだけど、
そのやりかたは
「そうきたなら、こう出るゼ!!」的なものではない。
(ちょっとうまく言えてないなあ)
と、まあかなり変わって来てます。
それもこの6~7ヶ月というところで。
こんな急激な変化はちょっとなかったです。
困っちゃいますね。
わたしも困ってます。
自分としては楽しいですけど、こういう現実問題になると、困る。
3、発表会の問題ではなくクラスのやり方の問題
で、2、で書いたようなことをやりたいと思うと、
今のクラス
一、振付けを1年半で終わらせる
二、振付けのレベルを初級ー中級などのレベル分けをする
というやり方は、ちょっと合わなくなってくるんですね。
たぶん今回言い出した「発表会は、、」も
発表会のやり方というよりもクラスのやり方に
「自分とのズレがある」と感じているのだとわかりました。
(勿論、だからこそ発表会にもズレが生じるわけです。)
うう~む。問題の根っこが深いぞ。
で。
「じゃあ今後どういうクラスをやるつもりなのか?」
ということや
「発表会の問題はいずこに?」
ということがありますね。
まだまとまってないです。今日気がついたばっかりなので。
とりあえず安易に気がついたことをぺらぺらと言いました。
また考えたら書きます。
前回のコメントやメールについてもお返事したいと思ってます。
それでまず分ったこと。
1、自分のフラメンコの理想(目指すところ)を教えたいと思ってること
これは当たり前なのかもしれないのですけれど
「自分の感じるフラメンコ」を
「生徒さんの感じるフラメンコ」としたい。
2、私のフラメンコの理想とは?
ひとつになること。溶け合うこと。です。
ちょっと前までは、フラメンコというのは
ギターという個と、歌という個と、踊りという個、
それからパーカッションだとか色々要素がありますけれど
それが、全部「個」として存在していて、
その「個」がぶつかりあって共鳴する、
そういうイメージをしていました。
だからクラスでも「個」としての強さや意見の言い方を
しつこくやっていたわけなんです。
ところが今はどうかというと「個」ではなくて
ギターも歌もハレオもお客も、全て「ごっちゃ」というイメージです。
溶けあって、元々の「個の色」は分かんなくなっていて
ひとつの(それでいて複雑な)色に仕上がっている、
そういうイメージです。
だから、今はどちらかというと「個を消す」ための身体の用意、
「相手を取り込む」ための身体の用意、ということに焦点がきてます。
「ベースのパルマをたたきながら、自分の足を打つ」
ということを最近しつこくやっているのは
「ベースのパルマを、自分の中に作る」ということで、それはつまり、
「他人がたたいてるパルマを、自分の中に取り込める」
につながると信じています。
ひいてはそれが発展して「他人の出すギターや歌を取り込める」ということになると。
だから、現在の私のクラスは「そういうこと」ばかりやっているんですね。
これも、昨日気がついたことでした。
皆さんのお陰です。
あと、クラスでなくて、わたしの踊りの方向性で変わったことですが、
「足の難易度」ということ、前は結構気にしていたのです。
見た目のかっこよさ。
「あれは難しいだろうな」という足を選ぶこと。
今は全然気にならなくなっていて、
「気持ちのいい足をやる」ということだけになってきている。
(まるっきり「かっこよさ」を考えてないわけではないですよ)
「踊るたびに振付けが変わる」ということも
大事だと思っていたのですが、
全然重要だと思わなくなって来ている。
自分が飽きてしまっていたんですよ、前は。
同じ振付けだと、飽きてしまっていた。
今は、飽きません。だから平気。
「アドリブをかます」ということも同様。
アドリブを次々繰り広げてこそ、と思っていたけれど、
全然最近その辺の欲望がない。
決していつも「まるで同じ動き」をしてるわけではなく、
いわゆる「アドリブ」はやってるんだけど、
そのやりかたは
「そうきたなら、こう出るゼ!!」的なものではない。
(ちょっとうまく言えてないなあ)
と、まあかなり変わって来てます。
それもこの6~7ヶ月というところで。
こんな急激な変化はちょっとなかったです。
困っちゃいますね。
わたしも困ってます。
自分としては楽しいですけど、こういう現実問題になると、困る。
3、発表会の問題ではなくクラスのやり方の問題
で、2、で書いたようなことをやりたいと思うと、
今のクラス
一、振付けを1年半で終わらせる
二、振付けのレベルを初級ー中級などのレベル分けをする
というやり方は、ちょっと合わなくなってくるんですね。
たぶん今回言い出した「発表会は、、」も
発表会のやり方というよりもクラスのやり方に
「自分とのズレがある」と感じているのだとわかりました。
(勿論、だからこそ発表会にもズレが生じるわけです。)
うう~む。問題の根っこが深いぞ。
で。
「じゃあ今後どういうクラスをやるつもりなのか?」
ということや
「発表会の問題はいずこに?」
ということがありますね。
まだまとまってないです。今日気がついたばっかりなので。
とりあえず安易に気がついたことをぺらぺらと言いました。
また考えたら書きます。
前回のコメントやメールについてもお返事したいと思ってます。
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