徒然エニー ~テツ子風味~

カメラと共に東へ西へ
蒸機の魅力に心惹かれて
女子ながらうろりちょろりと線路脇に出没
なので内容が鉄分過多かも?

そして去りゆくもの

2014-04-15 | テツ子の部屋

この機関車が引っ張るこの貨物、

散々と言うほどにはまだ撮れてもいないし、撮ってもないなって事で

1人でひっそりお出掛けしてきました。



撮影中は気付いていなかったのだけど
戻って画像を確かめてたら撮影行程の最後の方で
乗務員さんがこちらの方を見て手を振ってくれているカットが…


うーわー、こんなの見ちゃったらまた行きたくなっちゃうじゃないの



惜別の春。




まだ冷たい早朝の山の冷気も

抜けるような広い青空も

走りゆく赤い機関車も

たくさんの景色が私に色んなものを教えて、気付かせてくれました。


私の方こそありがとうって手を振って見送らせてね








※ 石北本線 ※

 

 

 

 

 

 

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2 コメント

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これだけでもう1つの (こがねっち)
2014-04-16 00:43:50
>お師匠♪
読み物になっちゃっててコメントのレベルを超えてるよー

そんな凄い文章の中でサラリと私の画像の事まで書いてくれて…
って、あまりにも読み応えのあるコメントだから
思わずコメントじゃなくて読者目線での感想になっちゃったい

コメントを読ませてもらっている途中、DD51新製車をD51が各地へと牽いていく青函連絡船のくだりでは
私自身は実際にその場面を見たこともないくせに、なんか想像だけで感極まっちゃって危うく涙がこぼれそうに…

そんなDD51が生まれたばかりの頃の様子は流石に分からないけれども
このDD51に限っては私にとっても遥か小さい頃(あったのよね、私にも)貨物ターミナルの近くに住んでいたこともあって
機関車と言えばこの姿を思い出すって位に馴染みのあるものだったんだよね

でもただ近所でいっぱい見る事が出来て
いつも貨物をガションガション言いながら繋げたり切り離したり…って
幼児の頃の記憶だからその程度のものだったんだけど
自分が大人になってこんな風にこの機関車と向き合って
レンズを向けるようになるとは思ってなかったわー(^^;ゞ

そうだね、お師匠が書いてくれてる北見峠や常紋越えを行く姿の走りの様子
そこだけはこのDD51の走りの最後の何分の1かだけれども
でも、自分のこの目で見る事が出来て
お師匠の言葉にまざまざとその走る姿、そして力強いエンジンの響きが脳裏によみがえってくるよ

お師匠の文章っていつも明瞭で読みやすくて
それでいてその場面がしっかりと想像出来て
読んでいるだけで頭の中で機関車が走り出してしまうんだよね

こんな沿線で撮るだけしかできない
その当時の様子も知らない私にまでも
色んな当時の場面を追体験させてくれてありがとう

いつもいつも、本当に感謝だよー


…って、あら、最後にちゃんと釘まで刺されて…
そうだね、もっと地元で重連運転している列車が…
あい。そちらもしっかりと撮影せねば
頑張りまっす

てか、この列車こそ撮るのもそうだけど
乗らないと
あと1年だもんね
最初で最後に乗ったのが5年半前のあの時の1度なんて
それじゃあまりにも切な過ぎる~
悔やんでも悔やみきれないっっ

ちょっと、お師匠のあまりに巧みな文章に
思わず私も色んな思いが揺さぶられて呼び起こされちゃって
おかしなテンションの返事になってごめんね

けどまたこんな風に当時の話、教えてもらいたいな
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石北DD51雑感 だな (とおりすがりです)
2014-04-15 18:48:01
石北臨貨、行ってきたね。
残すはあと4日間だから、これがきっと最後の撮影になるね。
いつもながらにDD51がイキイキ
気持ちいい晴天の下、いいツラしてるよ。

あれだけの勢いで製造されてカマたちを追い落としてったDD51も、
カマが消えてから早い時期に客車列車も貨物列車も不遇の時代になって、
短命に終わった機関車も多かったんだよね。
今残ってるやつらはそんな不遇な時代も生き抜いてきて、
なんと車齢が40年前後になるよ。
そんなに長生きできた現役D51はギリギリないから、大したものだったね。
当時、日立と三菱で製造されて青函連絡船で航送されてきたDD51新製車を、
自らがそれによって置き換えられることになるD51が、
小樽築港へ、旭川へ、鷲別へ、岩見沢へ、追分へと牽いてったよ。
その時のD51の健気な表情を思うと、
こいつらだけは絶対に許せねえと思ってきなぁ

でも、このあんまり貨物列車が走らない日本列島で、
あの石北本線をかつては前補機付きで、今は後補機付きで走るってんだから、
北見峠を、常紋越えを行く姿に
あの頃のD51たちの姿を重ね合わせてた部分もあったかもだなぁ...
いろんな関わりができたこともあって、
こいつらをかつて呼んでた「赤ブタ」って名前は
自分の中でいつの間にか消え去ってた。
フルノッチで全能力を発揮できなかったのがかわいそうだけど、
それでもここではとくに上り列車で渾身に近い働きをしたね。
天晴れだよ

でも、忘れちゃだめだよ。
もっと地元には
乗務員が大変な思いをして重連運転してる列車がまだあるじゃん。
こんな運転、過去までさかのぼって全国を探してもここだけだから。
それも、あと1年だからね

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