皆さまこんにちは~((ヾ(๑ゝω・ิ)ノ☆゜+.こんちゎ゜+.☆
先日、いつもブログを読んでくださっている読者の方から過去記事にあるコメントをいただきました。
その過去記事とは『「他人と比べる」を手放す』(記事はコチラ) という記事だったのですが。
コメントをいただいて改めて、1年以上前に書いたこの記事を読み返してみると思うところがありまして。。
今日はそのことについて書いてみようと思います。
まぁ、すでに、その方へのコメ辺にざっと書いたのですが、
他人と比較してしまう
他人に嫉妬してしまう
かつてのわたしもそうだったんですが、やっぱり皆さんこの2点で大いに苦しみ悩むようです。
確かにねぇ~・・・
「世界に一つだけの花」ではないけど(懐かしいぃ~)一人として同じ人はいないわけで、
どの人も個々オリジナルの魅力あふれる個性を持っている。
と言われても・・・
幼少期からずっ~と他人と比較されて、競争させられて大人になって。。
大人になって社会に出ても未だ、会社内では相変わらず競争させられて。。
なのに、
自分と同じ人はいないんだから。
他人と自分を比較するなんてやめようよ。
比較するから苦しむんだから。
そんな意味のないこと必要ないでしょ
なぁ~んて言われても・・・ねぇ~。。。
結局、他人に嫉妬する、というのも自分と他人とを比較した結果、自分の方が劣っていると感じるから、自分よりも優れている他人が羨ましくもあるし、憎らしく思えてしまう。
でもでも、ですよ
その比較してしまう他人と、嫉妬してしまう他人、その全てを
自分自身を映し出している『鏡』としてみることができたなら。。
自分よりも素敵な恋人がいるあの子が・・・
自分よりもスタイルが良くてみんなからちやほやされているあの子が・・・
自分よりもたくさんのものを持っているあの子が・・・
全~部、自分自身を映し出す鏡だったとしたら・・・
もぅ、嫉妬して、そんな自分の心が醜く思えて、そんな自分が嫌い
なんて自己嫌悪に陥ることもなく、
あの子に勝つためにもっと、もっと頑張らないと
と、自分を鞭打つこともないんぢゃないでしょうか
あんなに素敵な恋人がいるあの子がわたしの目の前にいるということは・・・
みんなから愛されて好かれているあの子がわたしと関わっているということは・・・
望んだものをなんでも手に入れることができるあの子とわたしに繋がりがあるということは・・・
わたしも同じもの(種)を持っているということなんぢゃない
ということは
わたしもそうなれる、ということなんぢゃない
となりません
イヤ
実際、そーなんです
自分の尊敬する人、憧れる人が自分と関わる、ということは自分もまたその人と同じ。
ただ、そのことに気づけるかどうか
そのことを本当の意味で理解できるかどうか
なんですよ
本当の意味で・・・というのは、頭で理解するのではなく、ちゃんと心からそうだなぁ~と納得する。
いわゆる、腑に落ちた。
ということです。
ただ・・・
どーしても自分の中に何かしらの引っ掛かりがあって、
自分の鏡として認められない
自分の鏡である、と受け入れられない
ということがある場合・・・
それは自我が何かしらの思い違いを持っている、ということなので
その時に役立つのが『エゴの解放』
なわけなんですが、自分の鏡として受け入れることができるようになると、
他人=自分
となって、完全に他人と自分を比較するということから解放されるんぢゃないのかな
そしてこの
他人=自分
となることがユニティ(合一=ワンネス)になることなんだろうな。と
そう思うのでありんす(・ω・)/
今日の横浜は冷たい雨が降りしきる朝となりました。いよいよ本格的な冬の到来が実感。でも職場の中は暖房が利いているので乾燥気味。先日買った加湿器がいい働きをしてくれているけど、それでもなんだか今年は乾燥がやたらと気になって。。
衝動買いぢゃないよ!だってイロイロちゃんと考えたんだから!!一日のうちで一番過ごすことの多い職場環境を良くするためだもん。
ブログ、更新してマス!!『アセンション~振り分けたその後の世界~④』 ameblo.jp/epicurean1974/…