皆さまこんにちは~♬.:*+゜(♥ó㉨ò)ノ♡はろぅ
今日は先週の続き。。
時は遡ること2週間前の週末に起こった、トンデモなトラブル()が発端でものすご~く、とにかくスゴ~ク深い部分の。。
たぶん、「わたし」という人間を形作る根底のベースのプログラムにあたるんぢゃないか
イヤ
間違いなく、そ~だろうそうに違いない
というドでかいモノが発掘されたんでさぁ~(・ω・)/
前回はそのきっかけとなった出来事の大まかな内容と、それがもとで沸き上がってきたわたしのトンデモない『悪癖』のことをお話ししました。
現在、このブログでもおなじみの『エゴの解放』の大基である『天地統心法』の絡みで、あるプロジェクトに携わっていまして。。
そういったこともあって、いぃ~ぃ加減、この自分の『悪癖』とちゃんと向かい合おう
と思い、週末の休みにチョイチョイと自分を観ていったんですゎ
まぁ、そのときの週末の休みは土日、両日とも珍しく朝から晩、それもかなり遅くまで一日中
あっちゃこっちゃと出歩いて、ゆっくりと時間をとることはかなわず、
移動の合間、合間にチョイチョイと時間をとる形で観ていきましてん。
でも、わたしの場合、腰を据えて、じぃ~っくりと取り組も事もできるけど、今回のように
時間の合間にチョチョチョイと意識を向けるのも結構、性にあっているようで、
観ていくと出てくるわ出てくるわ。。
「観る」というのは、『エゴの解放』シリーズでお伝えしている『天地統心法』を使っています。
つまり、昨日の記事にあるような『エゴの解放』を自分でやっておりますんです。
ただ、ここはちょっと自己流というか。
少しばかりやり方を自分流にアレンジしていますが。
で、やった内容としてはまず
☆人に対して見下す癖を治したい
から始まって、その対となる自我の裏願望を出します。
すると出てきたのが
★上から目線でい続けたい
となって、そこからどんどんと奥に掘り下げていきます。
するとでてきたのが、
★(自分が)嫌がられたいだの
★(自分が)疎まれたいだの
★(自分が)蔑まされたい
なぁ~んてのが次から次へとまぁ、よく、出てくるゎ、出てくるゎヽ( ´ー`)ノフッ
まぁ、このあたり、毎度のことなんでショック・・・というよりも
またかぁ~(´□`。)
というカンジなのですが。。
因みに逆となる理性(建前)の部分である☆は・・・
☆人よりも優れていたい
☆人から一目おかれていたい
☆人により、尊敬されたい
・・・てなカンジ。。
このパターンて、もぅ過去に何度もいろんなテーマから出てきて、わたしの中ではホント、お決まりのパターンだったんです。
だから、この時は
あぁ~ぁ・・・またこれかぁ~・・・
もぅ、このパターンは何度も開放していってるんだけどなぁ~~~(´□`。)
一体、どんだけ根っこが深いんだろう
とね、思っていたんですゎ
それがさぁ~チョット奥さん聞いてよぉ~ヒラヒラ
今回はそこからさらにグイィ~ッと深く奥に入って、その根本の原因がわかったんでさぁ~
その突破口となったのは、忘れもしない、週が明けた11月12日の月曜日。
仕事帰りに乗り換えの駅に併設されたスーパーでお買い物をして、買い物袋を下げ、
トコトコと歩いていたその時ッ
突然、閃いた言葉・・・
それは・・・
長くなりましたので、次回へ続きます
次回、どうぞお楽しみに(・ω・)/チャオ
実は今日、朝から急に酷い腹痛に見舞われて。。仕事を休んで家で療養。痛みでさっきまでうずくまっていました。腹痛はだいぶ納まってきたけど、先週末に続きなんか大々的な浄化をさせられている気が。。明日は完全復活できるかなぁ~(´□`。)
今日は具合が悪くて一日寝ていたんだけど、ウチって寝室が廊下に面していて。。今日は午後からマンションのガスだか電気のメーター交換だったみたいで、寝ている最中にメーターを取り外す作業の音や振動や、作業員さんたちの声がかなり大きく響いて。結構な安眠妨害。
以前なら、凄い怒り心頭でイラついたと思うんだけど、今日は全くイラつくこともなかった。。スゴク不思議なことなんだけど、寝ながら「あ~そーいえば、今日はなんか作業があるって紙が入っていたなぁ~」と思っただけ。
起きる出来事は常にニュートラル(中立)なんだけど、自分の意識がそこにネガティブ、ポジティブの意味づけしているんだ、というのはこのことなんだろうな。
自分自身の意識になんのひっかかりもなければ、怒りとか、イラつきとかが起こることなく、ただ現象を現象として観ることができる。。
最近、改めて思うんだけど、「悲しみ」と「怒り」は「陰」と「陽」の関係なのかもしれない。「悲しみ」があって、その悲しみから自分の心を守るために「悲しみ」を「怒り」に変換する。。だから「怒り」の奥には「悲しみ」が潜んでいるんだと思う。
その「悲しみ」って、大概が「自分を理解されない悲しみ」や「自分を受け入れてもらえない、否定された悲しみ」で、そこに気づいて自分自身を癒せればもう、「怒り」を持つこともなくなるから、「怒り」は自然ととける。。
今日のことでわたしが特になにも感じなかったのは、きっと、わたしの中の何らかの「悲しみ」が癒されたからなんだろうな。。