美人塾~エピキュリアンのススメ~

『美人塾』の著者、高原めぐみのブログです。心地の良いこと、楽しいことを追求し、本当の自分らしさ美しさを探索していきます!

幸せの在り処

2012年04月17日 10時10分10秒 | ちょっとひとり言

皆様こんにちは~

自己最長シリーズの『わたしの履歴書』全44回を1ヵ月半に渡って書き上げたのですが、疑問に思われた方もいるんぢゃないでしょうかはてなマーク

そう

44回に渡るシリーズの中で、一度も母が出てこなかったこと

因みに・・・

母、健在です。

仲も悪くないです。

そして、アドルトチルドレン気味の父の影に怯える気の弱い大人しい人・・・というわけではありません( ̄^ ̄)ノキッパリ

母は昭和19年生まれの申年生まれ。

で、ありながら第一子であるわたしを出産したのが31歳のとき、というから当時では珍しい高齢出産でした。

そんな母は信州の山深い農家の6人兄妹の第二子、次女として誕生。

母は相当、頭が良く、優秀だったらしいのですが、下にズラズラ~っと4人もの弟妹がいたので、高校すら進学することがかなわず、中学を卒業後、紆余曲折、都心で美容院を経営している母の叔母にあたる人の元へと身を寄せ、昼間は叔母の経営する美容院で下働きをし、夜は夜学へと通い、美容師になるべく、勉強に励むという日々を送りました。

そう、母にとって美容師は別になりたい職業ではありませんでした。

まして、中卒で働くというのも本人の意思ではなかった。。。

でも、それしか選択の余地が無かったのです。

それでも、美容師になって叔母の元で働いている間、夜な夜な新宿界隈に同僚たちと後輩を引き連れ繰り出しては、ごーごー喫茶で踊り狂い、しっかりと青春を謳歌しておりましたそうな。

父と結婚してからは、あっさりと美容師を辞め(・x・ノ)ノ⌒ポイッ専業主婦に転身。

そんな母を見ていると、なんというか、執着というものを感じないのですよね。

10年以上積み上げてきた美容師としてのキャリアをあっさり(・x・ノ)ノ⌒ポイッって捨ててるし。。。

そして、決して自分の身の上を嘆くことも無く、その時々の環境を自分なりに楽しんでいる。

だから、本人も自分を不幸せとは思っていないんですよ。

 

それでも、わたしが20歳くらいの頃に・・……(-。-) ボソッと話したことが

 

わたしはね、いらないどーでもいい子だったの。

姉は初めての子で病弱だったから、大事にされたし、下の弟は農家の跡取りだから、それはそれは大事にされた。

その下の2番目の弟は長男に何かあったときのため、というか、昔は子供が全員大人になるとは、限らなかったから・・・だから、2番目の弟も大事にされた。

3番目の弟と一番下の妹は父が40歳過ぎての子だったから、それはそれで大事にされた。。。

で、わたしは・・・健康だったし、特に問題もなかったからね・・・。

だから・・・どーでもいい子だったのよ。。。

 

夜な夜なごーごー喫茶で踊り狂い、寮の門限に間に合わないからと、最寄り駅からヒールを脱いで猛ダッシュダッシュ

で帰ったという母・・・

わたしが当時流行った12cmのスーパーヒールで最終電車の乗り継ぎの度に猛ダッシュダッシュ

で階段を駆け下りる、という話をしたときに

そんな高いヒールで走っちゃダメでしょstop

靴は脱いで手に持って走りなさい

え・・・( ̄△ ̄;)エッ・・はてなマーク喰い付くとこソコ・・・はてなマーク

イヤ・・・年頃の娘がそんな夜遅くまでほっつき歩いているんじゃないパンチ!

とか、サ・・・他に言う事あると思うんですが・・・( ̄ω ̄;)ウーン・・・

 

そんな面白過ぎる母の悲しい告白・・・(TmT)ウゥゥ・・・マミー、ナンテ・・・カナシイ・・・

それでも、自分の人生は幸せだという母。。。

 

それとは全く対照的なのが、旦那の母親。

姑ですね。

彼女は4人兄妹の長女で第一子として生まれているのですが、5歳くらいのときに実母が亡くなり、その後、父親が再婚したわけですが、どうにも継母が気に入らないらしく、未だに何かにつけてイロイロと言っています。

そんな懐かない姑に継母や父親は随分と気にかけて心を砕いていたそうで、九州の生まれ育ちなんですが、あの時代に東京の女子大を卒業しているんです。

そして、大学卒業後は一度も就職することなく、お見合い結婚をするのですが、本人からしてみれば、継母による厄介払いをされた、という気持ちらしいです。

そして、子供=自分の人生という感じで4人の子供を偏愛し、親離れしていく子供たちに、裏切られたと悲嘆にくれ鬱になる姑。。。

 

同じ昭和19年の申年生まれのこの2人・・・

環境面でいえば、姑の方が断然、恵まれていると思うんですけどね。

実の両親の元に育ちながらも自分はいらない、どーでもいい子だったと思ってしまう、そんな風に育ち、弟妹のために将来を選択することすらできなかった母・・・

方や、実母には幼くして他界されながらも、優しい継母や父親に気遣われながら、上京して大学まで卒業して至りつくせりの人生を歩んできた姑・・・

でも、環境に恵まれなかったからといって、不幸せではなかった、むしろ幸せだと言う母。

環境に恵まれながらもその中で幸せを見出すことが出来ずに悲嘆にくれる姑。。。

 

あまりにも対照的な2人のをみてツクヅク思います。

幸せって、環境なんかぢゃないんだな。

どんなに恵まれていても、その中で幸せを感じることが出来なければ、幸せではないし、逆に

どんなに不遇な環境でも、その中で幸せを見つけること、感じることが出来れば、幸せなんだ。

幸せって、幸せを感じることが出来る心があるかどうかはてなマークなんだな

と。。。

幸せの在り処・・・それは、その人の心次第

なのだと、そう思います。

 

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