皆さまこんにちは~(*・∀・)ノ||O | ☆.:゜+。コンチャ゜+。:.☆
今日は午後からもう一本、アメブロの方で久々のアメ限で記事をUPします。
アメンバーの皆様は午後からの記事もよろしくお願いします(・ω・)/マス
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もし、読者の方でアメンバー申請がまだの方がいましたら、この機会にぜひ
というわけで、本題です。
結局・・・幼少期のわたしは度重なる理不尽な父親との関係で、自分を無理やり納得させるため、
そうやって自分の心を壊さないために自分に暗示をかけることにしました。。
わたしは無力なんだ
と・・・
たとえ物心がつかない幼い子供でも、自分が心からこうなると強く決めたことって、
その通りになるんですよね。。
それはかつて、わたしが小学生の時、自分の感情をフリーズさせて
何も感じなくさせてしまったことがあって。
そのことがあって、自分が強く心に決めたことはその通りになる
というのは実際、充分経験済みでわかっていました。
とはいえ・・・ねぇ~・・・いくら心に強く決めたといっても、そ~んな2,3歳の頃のことなんて
覚えているわけないぢゃないですか
でも・・・無力でいたい、無力なわたしになるんだ
ということは覚えていなくても、
自分は無力だ
という感覚は常にあって。。
だからこそ、無力な自分が生きるために、
どーしても人よりも優れていたい
人に一目おかれるようになりたい
人に認められたい・・・
なんてことを強く望んでいたんだと思います。。
無力ゆえに。。
そして、人よりも優れた自分であるためには、人と比べたとき、
自分よりも見劣りのする人が必要なわけで。。
だから、何かにつけて人と比べてみては自分の優位を確認し、
なおかつ、優位にいることを確かめるために上から目線で見てしまう。。
もし、自分が無力なんてことまったく思っていなかったら、きっと、
人と自分を比べることも・・・
上から目線で人を見るなんて嫌なことをすることも・・・
自分の意見を相手に押し付けたりすることも・・・
相手から自分の意見を否定されたとき、腹を立てることも・・・
しなかったと思うんです。
無力ゆえに、相手に自分の意見を否定されるとむきになってしまう。。
無力ゆえに、相手をコントロールしてしまおうとしてしまう。。
無力ゆえに、人を上から目線で見て、自分の優位を誇示しようとしてしまう。。
それもこれも無力ゆえに。。
そして無力になることを望んだのはわたし自身。
根本の望みは無力でいることだから、いくつもの層となっている自我の望みは
自分が無力であることを実感できるように
蔑まされたい
とか
疎まれたい
とか
嫌がられたい
なんてことを思うようになっていたわけで。。
なんかここまで自我のカラクリをひも解くと、
いままで必死に人に認めてもらおうと頑張ってきたことも、
人に意見を否定されてやり場のない怒りを持て余して、そんな自分を自己嫌悪したのも、
全て自作自演の小芝居をひとりで演じていたような気分です┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ・・・
でも、そのことに気づいたいまは、もぅ、無力でいる必要はないよね
ということで、無力でいたい、無力なわたしになろう と決めた2,3歳の時のわたしを
泣いている小さな子を抱きよせ、慰めるように・・・
一切の否定をせず、ただただ
辛かったね、悲しかったね、苦しかったね
と小さなわたしの気が済むまでイメージで抱きしめ続けました
(片手に葱の入ったスーパーのレジ袋を提げて歩きながら)。
そうすると、リアルに浮かんできた悲しみや悔しさがどんどんと薄れていって。。
きっと、これで初めてわたしは本来のわたしになれた気がします。
無力ではない、本来のわたしに。。
そんなわけで、あの日、突然降りかかったトラブル()はもはやトラブルなんかではなく、
わたし自身の長きに渡る呪縛を見つけ、解放するきっかけをくれた
なんともありがたい出来事となったのでした
そーいえば、ありがたいって漢字で書くと有難いという字なんですよね
難があって、それがありがたい・・・
きっとそれは今回のように、人って難があったからこそ、初めてそこから何かを
気づき、学ぶことがことができるからかも。。
いろんな意味でとても深い体験でした