10回に渡って書いてきた『エピキュリアン的お金の話』ですが、今回は最後にと~っても大事な注意点を一つ(・ω・)b
お金を使った徳積みも、にワクワク歓びの心
で使うとことも、また、それ以外の全てに関して共通していえることなんですが、
打算で行わない、見返りを求める心で行わない
ということ、です。
お金を使うときに「ありがとう、ありがとう」を言うと、徳を積むことになるし、お金にも好かれるから、だからきっと・・・
と、使うときに
コレだけのことをしたんだから、コレだけのことが返ってくるのだろう
と、見返りを求める心で行うと、せっかく善い事をしても
残念ながらそれは全く認められません
誰に認められないか、というと宇宙にです。
なぜなら、宇宙は何をしたのか?ということよりも何故、ソレをしたのか?という動機を重要視するからです。
以前に書いた『本質に戻る』の記事にあるように、わたし達は一人一人が其々、自分の魂の根源へと『直霊』の柱でもって繋がっています。
でも、チョット心の持ちようが本質からズレてしまうと、根源へと繋がっているはずのこの『直霊』の柱が傾くことになります。
きちんと真っ直ぐに繋がっていれば、自分の想いは一瞬で世界を駆け巡り、良い循環をもたらすのですが、傾いてしまうと、どんなに願っても、善い行いをしてもその願いや行動は循環することなく、ダダ漏れ。
天にはその思いや行動は届かないし、天もまたその行為を認めません
これは寄付などで特にいえることですが、
心から「このお金が少しでも役に立ちますように」という気持ちで行うのではなく、税金対策や、他人に良く思われたいという心や、死後、天国や極楽に行けるように、あるいは神様にこ~んなに一杯良い事したんだよ、とアピールして認められたい・・・
そんな、見返りを求める、あるいは誰かに認めてもらうなどの動機で行ったことに関してはどんなに良い事を沢山しても、それはやらなかったのと同じこと
となるのです。
じゃぁ、いままで書いてきたことはムダだったのか?と言えば、そんなことはありません
やっぱり、知っているのと知らないでいるのとでは全然違うと思うから。
あとは、一人一人の心次第、ということでしょうか。
そして、見返りの心で行わないポイントは
頭で考えるのではなく、心を重視すること。
結局、見返りを求めるという行為は、頭で考えることによってでてくる思考です。
思考とはつまりはエゴ
どうせ、払わなければいけないものなら、お金さんに好かれるイメージを想像して、楽しんで「ありがとう、ありがとう」と送り出す。
来月の支払いが・・・
などと余計なことを考えない。
お金を使うということは、結局は自分の生活を豊かにする、ということなんですから。
と、いうことで、使うときもなるべく自分が豊かになる使い方を心がけましょうね
そのためには、自分の心がワクワクするかどうかが一つの目安になります。
頭で考えることよりも、自分の心がどう感じるか?を重視しましょう
次回は本当に最終回。
お金とは結局・・・というまとめです