皆さまこんばんは~☆⌒Y⌒Y⌒ヾ(*゜Д。*)こん!!!
先週末は急に決まった箱根への小旅行でした~
今回はあまりアチコチは寄らなかったものの。
美味しいモノを沢山頂いてきました
その時の話はまた改めて記事にするとして。
今日は先日の続きです(・ω・)/ヨロ
本来、起こるあらゆる全てのことに意味はありません
全ては「雨が降る」というのと同じ単なる現象に過ぎません。
本来はな~んの意味も持たない単なる現象に意味を持たせているのはわたし達自身
正確に言えば、わたし達の自我がやっていることで。
単なる現象にすぎないはずの体験が自分にとって不快な、嫌な感覚、感情を持たせるモノの場合。
それはわたし達の内側にある引っ掛かりが起因となっています。
その引っ掛かりが何か
というと。
その引っ掛かりこそが自我の持つ『信念(観念)』となります。
そして。
ここがとても大切な事なのですが。
自我の持つ『信念(観念)』はその全てが過去。
生まれてから今迄の自分の人生の中で負った何らかの傷、痛みが原因となっています
例えると。
左右、どちらかの足をねん挫したとします。
すると。
歩くとき、ねん挫した足が痛むから当然、無意識にねん挫をした足をかばう歩き方となりますよね
でも。
痛みのある場所をかばう歩き方というのは本来の歩き方ではなく。
不自然だし、その歩き方が長く続けば今度はかばっている方の足や腰などの他の場所も痛めてしまうことになります。
身体の場合。
けがをしたり、痛めた場所が殆どの場合、しっかりと見た目で確認できるし。
見た目でわからなくても「痛みがある」ということはしっかりと認識できます。
だから痛みがなくなれば自然と元通りの歩き方に変わるし。
身体は自己治癒力があるから大概は時間が経てば治ります。
でも。
心はどうでしょう
心は。
何度かブログでも書いていますが。
心(感情)には時間の概念というモノがありません
傷ついた心というのは自分がその傷に気づいて癒さなければ自動的に癒されるということはなく。
いつまでもその痛みとともに傷を負ったままの状態で存在し続けます。
この痛みと傷をかばうために。
痛めた足をかばう歩き方をするように
自我が創りだしたのが『信念(観念)』
大抵の人が自我が・・・という言葉を聞くと何やら
自分の人生の足枷となる邪魔な代物。
切って捨てるべきモノ。。
というように捉えています。
でも
この話を聞いても尚、切って捨てるべきモノだと思いますか
わたしは・・・
自我は確かにトンデモナイ現実を起こすはた迷惑なヤツではあるけど。。
でも。
この自我がなければきっと、わたしの心はとうの昔に壊れていたと思うのです。
だから自我の持つ信念は修正すべきだけど。
自我がその信念を創るに至った経緯を考えると。
自我も。
はた迷惑な信念も。
そしてその原因となった心の傷も痛みも。。
その全てがただただ愛おしい。。
まぁ、これはあくまでわたしの想いですが。
ただ、共通して言えることは。
感情を感じないように心をフリーズしていても。
心はしっかりと傷を負い、痛みます
それは身体に麻酔をかけてマヒさせているのと同じ状態。
麻酔で痛覚がマヒしてなんにも痛みを感じなくても。
刃物で切り付けたりすれば当然身体は傷つきますよね
それと同じこと。
感情をフリーズさせたから心が傷つかない
というのは大きな間違い
で。
実際はしっかりと傷つき、痛みを抱えています。
だから。
鏡の法則、引き寄せの法則、自分原因説。。
どのようなメソッドアプローチの仕方をするにしても。
(まぁ、結局は皆同じことなんですが)
最終的には自分自身の傷、痛みを癒すということが求められるというわけでです。
次回はまとめです(・ω・)/ヨロ
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