せっかく先週は涼しくてよかったのに、そうそう簡単には秋になってくれないものですねぇ
それも、この湿気の多さのハンパないこと
洗濯物が乾かないじゃんか~~~
そんな蒸し暑さにも挫けそうになりながら、今日もまじめに横浜から東京くんだりまで東海道線にゆられ、ラッシュのおしくら饅頭にも負けずに出勤です。
頑張って出勤してする仕事が、ブログの更新だったり、ピグライフだったりするのですが。。。
そこはあまり触れないで。。。
そんな朝のラッシュでぼーっと、必死に離すまい、と吊革にしがみつくオジサマ達をみてフト思ったこと。。。
あぁぁ、執着に固執するって、こんな感じなのかぁ。。。
ということ。
途中駅で人がドワァっと乗ってくると当然、中に押されて押されて、いきます。
その圧力に身を委ねるとなんとなく、良い具合なポジションに納まります。
みんながみんな委ねてベストポジションに納まると、乗車率150%越えという荒業も可能。
満員電車の不思議。。。
でも、何人かのオジサマ方はその抗いがたい圧力にも負けずに、必死に吊革を離すまいと踏ん張ります。
そうなると、かなり不自然な体制となり、そのオジサマの付近の人も納まりが悪くてきつい体勢になります。
まぁ、何が何でも吊革を手放せない訳もなんとなくわかるケド。。。
痴漢の冤罪防止だよね。きっと。
吊革につかまって手を挙げることで、自分は触っていません。という。
と、その辺の事情は置いといて、この、何が何でも吊革から手を離さないぞ、というオジサマとその付近で迷惑を被っている人の構図が執着に固執する人の図に見えてしまったの。
手放さすまいとする、その吊革は人によってはお金だったり、過去の栄光だったり、子供だったり、付き合っている恋人だったり。
そして、後から乗り込んできて奥に押し出そうとする人の圧力が、新しい環境、新しい関係性とかを含んだ新しい流れ。
この新しい流れに身を委ねて、たとえ握り締めた吊革から手が離れようと、それなら手を離してその流れに乗ってしまえば、なんとなくまた自分にとってのベストポジションに納まる。
でも、ここで流れに逆らって、吊革を握り締め続ければ、当然、本人も無茶な体制を強いられてきついくなるし、その周りの人は吊革に伸ばした腕で頭を小突かれたり、踏ん張っている足が邪魔だったりして
もう、このおっさんひと邪魔~
と、なる。
で、中には身体でブロックしたりして無理やりつかんでいる吊革から手を離させようとする人もいたりして。
人の執着も、いい加減手放さないといけない時期がきているのに、固執してしがみつこうとすると、その執着に関係する人や事柄との間に溝が深まり、さらに周囲からも妨害を受けて、結局は手放すことになる。
はじめから、無理せず流れに身を委ねてしまえばきっと、流されたその先ですんなりと自分の新たなポジションや関係を築くのだろう。
どうせ無理してしがみついても、結局は手放すことになるんだから、それなら折角築いた今までの良い関係にヒビを入れずに新たな境地を開いたほうが良いと思うんだけど、でもそれができないっていういのはきっと不安なんだろうね。
この手に握り締めたものを手放したら、もう二度と手にすることはないっていう。
不安って、結局は自分で勝手に思い込んで作り出しているもの。
そして、結局はひとえに自分への信頼が築けていないということ。
自分への信頼がないから自信がない。
だから、一度手にしたものは絶対に手放せない。
そんな感じなのかな?
と、朝から満員電車に揺られながら思ってみました。
わたし?
わたしは吊革にあればつかまる。転倒防止に。
でも、押されたら素直に離すし、途中下車でも、どこまでも奥に流されるよ。
だって、ちゃんと降りれるって信じているから
自信はハートを充実させ、開かせます。
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この深い色、究極でしょ