10月5日(土)に行われた「神の泉 森林の楽校」(埼玉県神川町)の報告です。
14名(内地元3名)の参加がありました。
参加者の声
今回、下久保ダム周辺の草刈りを行いました。
作業場所はカーブの多い山道の中腹にある見晴台や休憩所のあたりでした。
腕の長い鎌と、鉈を使い、参加者同士距離をとりながら黙々と作業をしました。
運営者、指導者、参加者と交流し、実りある時間が過ごせました。
作業の結果としてどれほど役に立てたのか、少し不安なところもありますが、出来上がった関係性から今後につながる成果はあったと思います。
今回の森林の楽校に参加し感じたことはいくつかあるのですが、少し込み入ったことを敢えて書き記してみようと思います。
つまるところ、ボランティアに参加するということを、それほど構えずに気軽にぜひ参加してほしいというメッセージです。
僕がボランティアに関わることになったのは大学3年生、東日本大震災が起こった後でした。
目の前に起こったことに衝撃を受け、使命感からボランティア活動の世界に足を踏み入れました。
ところが一般的なボランティアと違ったのは、避難所に常駐し継続的な活動をすることになったため、地元の人に近い感覚で、その後繰り返しやってくるボランティアを見ていくことになったのです。
今ふりかえると高慢な視点で恥ずかしいですが、引いた眼でボランティアが現地でかける迷惑や自己満足など見聞きし批判的な立場でした。
そういった冷めた姿勢だったのですが、今回僕が森林の楽校に参加した動機は、自己満足に近いものでした。
自然と触れ合いストレスを解消し、人と出会い自分の世界を広げる。
そして、実際にボランティアに参加したあとの満足感は、気持ちの良いものでした。
もしかしたら初めてボランティアに参加する側の気持ちを、今回心でわかった気がします。
ボランティアを受け入れる現地の人、コーディネーターのほどより力の抜け具合もちょうどよく、自己満足であることの後ろめたさを一切感じることなかったことは、大事なことだったと思います。
震災復興、地域まちづくりに関わる人は間違いなく知っていることだと思いますが、どうしても地元の感情面が強く出てくることがあります。
だけど、「困っている」と「役に立ちたい」をゆるやかにつなぐことがボランティアの本質な気がします。
頭でわかっていることと、経験して感じることには大きな隔たりがあります。
ボランティアに参加する、ということは、ぼくが今回感じたことだけに限らずいろんな文脈において、象徴的な経験だ思います。
14名(内地元3名)の参加がありました。
参加者の声
今回、下久保ダム周辺の草刈りを行いました。
作業場所はカーブの多い山道の中腹にある見晴台や休憩所のあたりでした。
腕の長い鎌と、鉈を使い、参加者同士距離をとりながら黙々と作業をしました。
運営者、指導者、参加者と交流し、実りある時間が過ごせました。
作業の結果としてどれほど役に立てたのか、少し不安なところもありますが、出来上がった関係性から今後につながる成果はあったと思います。
今回の森林の楽校に参加し感じたことはいくつかあるのですが、少し込み入ったことを敢えて書き記してみようと思います。
つまるところ、ボランティアに参加するということを、それほど構えずに気軽にぜひ参加してほしいというメッセージです。
僕がボランティアに関わることになったのは大学3年生、東日本大震災が起こった後でした。
目の前に起こったことに衝撃を受け、使命感からボランティア活動の世界に足を踏み入れました。
ところが一般的なボランティアと違ったのは、避難所に常駐し継続的な活動をすることになったため、地元の人に近い感覚で、その後繰り返しやってくるボランティアを見ていくことになったのです。
今ふりかえると高慢な視点で恥ずかしいですが、引いた眼でボランティアが現地でかける迷惑や自己満足など見聞きし批判的な立場でした。
そういった冷めた姿勢だったのですが、今回僕が森林の楽校に参加した動機は、自己満足に近いものでした。
自然と触れ合いストレスを解消し、人と出会い自分の世界を広げる。
そして、実際にボランティアに参加したあとの満足感は、気持ちの良いものでした。
もしかしたら初めてボランティアに参加する側の気持ちを、今回心でわかった気がします。
ボランティアを受け入れる現地の人、コーディネーターのほどより力の抜け具合もちょうどよく、自己満足であることの後ろめたさを一切感じることなかったことは、大事なことだったと思います。
震災復興、地域まちづくりに関わる人は間違いなく知っていることだと思いますが、どうしても地元の感情面が強く出てくることがあります。
だけど、「困っている」と「役に立ちたい」をゆるやかにつなぐことがボランティアの本質な気がします。
頭でわかっていることと、経験して感じることには大きな隔たりがあります。
ボランティアに参加する、ということは、ぼくが今回感じたことだけに限らずいろんな文脈において、象徴的な経験だ思います。