6月18日(土)~19日(日)に
岐阜県揖斐川町で行われた
「風の谷 森林の楽校」の報告です。
12名(内地元3名)の参加がありました。
参加者の声
私が生まれ育った茨城の実家には裏山があり、
祖父はたびたび枝打ちや間伐をしていた。
私は祖父が枝打ちや間伐をするところをほとんど見たことがなく、
なぜそれらの作業を行わなければならないのかも当然知らなかった。
集めた枝でたき火をしていたことから、当時の私は
「たき火遊びをするために枝を打っているんだ」と思い込んでいた。
今思えば祖母が
危ないから私を枝打ちや間伐に連れて行かないようにと
祖父に釘をさしていたのかもしれない。
今回の「風の谷 森林の楽校」での体験を通じて、
私は森林が思った以上に人間っぽいところがあると
親近感を感じられるようになった。
間伐した木の年輪をみながら、
一本の木がどのように育ち当時周囲がどのような環境だったのかが、
その木の生い立ちを想像することができた。
周囲の木と日光を求めて競い合ったり、
時には病気になったり、
私たち人間と重なる部分があるような気がした。
もうひとつの収穫は、
森林を通じて生計を立てている人々の「手」を
森林の中で感じることができるようになったことだ。
枝打ちの作業を体験して、
木の皮が剥がれないように、切断面がすぐに隠れるように、
といった「ひと手間」の大切さを垣間見ることができた。
間伐の際にも、どのようにその一体をデザインして間伐するか、
を実際に考えることができた。
今後ハイキングやバーベキューに行った時には、
その土地の人がどのように森林に手を加えたか、
その舞台裏を想像することができそうだ。
今度実家に帰省した際には、
また裏山を歩き回ってみようと思う。
言葉で聞かずとも裏山の昔のことや、
祖父の「ひと手間」を感じることができるかもしれない。
岐阜県揖斐川町で行われた
「風の谷 森林の楽校」の報告です。
12名(内地元3名)の参加がありました。
参加者の声
私が生まれ育った茨城の実家には裏山があり、
祖父はたびたび枝打ちや間伐をしていた。
私は祖父が枝打ちや間伐をするところをほとんど見たことがなく、
なぜそれらの作業を行わなければならないのかも当然知らなかった。
集めた枝でたき火をしていたことから、当時の私は
「たき火遊びをするために枝を打っているんだ」と思い込んでいた。
今思えば祖母が
危ないから私を枝打ちや間伐に連れて行かないようにと
祖父に釘をさしていたのかもしれない。
今回の「風の谷 森林の楽校」での体験を通じて、
私は森林が思った以上に人間っぽいところがあると
親近感を感じられるようになった。
間伐した木の年輪をみながら、
一本の木がどのように育ち当時周囲がどのような環境だったのかが、
その木の生い立ちを想像することができた。
周囲の木と日光を求めて競い合ったり、
時には病気になったり、
私たち人間と重なる部分があるような気がした。
もうひとつの収穫は、
森林を通じて生計を立てている人々の「手」を
森林の中で感じることができるようになったことだ。
枝打ちの作業を体験して、
木の皮が剥がれないように、切断面がすぐに隠れるように、
といった「ひと手間」の大切さを垣間見ることができた。
間伐の際にも、どのようにその一体をデザインして間伐するか、
を実際に考えることができた。
今後ハイキングやバーベキューに行った時には、
その土地の人がどのように森林に手を加えたか、
その舞台裏を想像することができそうだ。
今度実家に帰省した際には、
また裏山を歩き回ってみようと思う。
言葉で聞かずとも裏山の昔のことや、
祖父の「ひと手間」を感じることができるかもしれない。