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3月22日(金)に大阪府大阪市で行われた「町並みと民家を訪ねる会」の報告です。
14名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
恒例「町並民家シリーズ」は特異な町造りや景観などが残っている町を尋ね、その新展開を見せる町のあり様を訪ねます。
京の西陣は“応仁の乱”の舞台として、その後の職人たちが造った織物の町として、その佇まいや、在り方を観て巡りました。
「西陣織会館」
まず、堀川通りの西陣織会館に集まり、華やかな和装の美しさを紹介する「きものショウ」をみて、そこから、“応仁の乱”発端となった山名邸の碑が建つ路地を抜けて、西陣の街を歩きました。
「文屋図子と三上家みかみけ路地」
乱が終った後、織物を中心に織物職人さんたちが帰ってきて町家を復興してゆきますが、室町時代から続く職人長家が連なる処で、今はお洒落なお店やアトリエが連なる独特な雰囲気の路地裏が残っています。
この路地を出て、智恵光通りから細い路地に左折すると「本隆寺」があり、その長い土塀に沿って進むと「雨宝院」で、通称西陣聖天と呼ばれるその角を曲がると大きな岩を祀る“もののけ” 伝説の一つ「岩神神社」に出ます。
そこを抜けると、「浄福寺通り」で石畳の道と織物屋の町家が並び、かつては西陣の中心地として栄えていたこともあり、風情のある建物が軒を連ねています。
その中の一つである「織成館おりなすかん」は当初の建物をそのまま利用した美術館となっており、現在も現役工場として、西陣織の制作過程から優美な完成品までを鑑賞できます。
プロたちの仕事により、このような緻密で優美な模様を作り出していることが、よくわかる処でした。
石畳の浄福寺通りを突き当り、右折(東)し、智恵光通りを北上すると、真教寺の門前に石仏があり、京の町角にお似合いのゆったりとした石仏が祭ってある。
そんな道をさらに北上し、東西の鞍馬口通りに出た角に「さらさ西陣」カフェがありました。
もと銭湯だった古い建物を活かして茶店には見えないお店が営業しています。
入り口は昭和の銭湯そのもので、日本の伝統的な建築様式である唐破風の門構えが特徴で、店内は壁一面の鮮やかなマジョリカタイルで、かつての浴室をそのまま使ったレトロな雰囲気を醸し出しています。
ここでお茶など戴き、しばし談笑して解散しました。
それにしても、近時の大戦で戦災に合わなかった京の町は、戦後と言えば“応仁の乱”のことだそうで、この戦で地方に散った人たちが、日本らしい文化を拡げ、日本文化はこの乱から始まったと言われています。
又、ここに戻った織物職人たちは伝統技術を育てていきますが、そんな“したたかさ”を見せてくれる、そんな豊かさと芸を見せてくれる町でもありました。
14名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
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恒例「町並民家シリーズ」は特異な町造りや景観などが残っている町を尋ね、その新展開を見せる町のあり様を訪ねます。
京の西陣は“応仁の乱”の舞台として、その後の職人たちが造った織物の町として、その佇まいや、在り方を観て巡りました。
「西陣織会館」
まず、堀川通りの西陣織会館に集まり、華やかな和装の美しさを紹介する「きものショウ」をみて、そこから、“応仁の乱”発端となった山名邸の碑が建つ路地を抜けて、西陣の街を歩きました。
「文屋図子と三上家みかみけ路地」
乱が終った後、織物を中心に織物職人さんたちが帰ってきて町家を復興してゆきますが、室町時代から続く職人長家が連なる処で、今はお洒落なお店やアトリエが連なる独特な雰囲気の路地裏が残っています。
この路地を出て、智恵光通りから細い路地に左折すると「本隆寺」があり、その長い土塀に沿って進むと「雨宝院」で、通称西陣聖天と呼ばれるその角を曲がると大きな岩を祀る“もののけ” 伝説の一つ「岩神神社」に出ます。
そこを抜けると、「浄福寺通り」で石畳の道と織物屋の町家が並び、かつては西陣の中心地として栄えていたこともあり、風情のある建物が軒を連ねています。
その中の一つである「織成館おりなすかん」は当初の建物をそのまま利用した美術館となっており、現在も現役工場として、西陣織の制作過程から優美な完成品までを鑑賞できます。
プロたちの仕事により、このような緻密で優美な模様を作り出していることが、よくわかる処でした。
石畳の浄福寺通りを突き当り、右折(東)し、智恵光通りを北上すると、真教寺の門前に石仏があり、京の町角にお似合いのゆったりとした石仏が祭ってある。
そんな道をさらに北上し、東西の鞍馬口通りに出た角に「さらさ西陣」カフェがありました。
もと銭湯だった古い建物を活かして茶店には見えないお店が営業しています。
入り口は昭和の銭湯そのもので、日本の伝統的な建築様式である唐破風の門構えが特徴で、店内は壁一面の鮮やかなマジョリカタイルで、かつての浴室をそのまま使ったレトロな雰囲気を醸し出しています。
ここでお茶など戴き、しばし談笑して解散しました。
それにしても、近時の大戦で戦災に合わなかった京の町は、戦後と言えば“応仁の乱”のことだそうで、この戦で地方に散った人たちが、日本らしい文化を拡げ、日本文化はこの乱から始まったと言われています。
又、ここに戻った織物職人たちは伝統技術を育てていきますが、そんな“したたかさ”を見せてくれる、そんな豊かさと芸を見せてくれる町でもありました。