お久しぶりです、すっかり年も明け、もう2月ですね
今日は、すみません、忘備録のようにガーッと書いた文章を貼り付けています。
長文なので、読み飛ばしていただいて大丈夫です。
近頃のネコ写真を貼っておきますね。
以下、長文となります。
運動不足解消のため、近所をテクテクと歩いているのですが、久しぶりに来たこの場所で、湧き上がる気持ちが抑えきれず、写真を撮った。
大きなモニュメントが建っているこの場所は、昔。
小学校のマラソン大会の折り返し地点で。
真美の塔という展望台のようなものが建っていた。
黒い鉄筋がゴツゴツしてて、カンカンと階段を上るとガラス窓に覆われた展望スペースがあり。
きっと二上山の眺めが素晴らしかったのだろう。
当時の私はまだなにも分かっていなかったけれど。
塔の足元から向こうは、背丈を超えるほど伸びた雑草が生い茂る、放ったらかしの草むらで。
その頃はそんな、ニュータウンのために造成したけれど放ったらかしの土地があちこちにあり、鳥や野生生物の棲家となっていた。
朝晩そこから、鳥たちの大合唱が聞こえ、キジやイタチ、時々蛇のしっぽがにょろり😖
そんな、人が作った場所だけれど自然はいっぱいな土地で、草花と虫たちと駆けまわる子供時代を過ごすことができた。
造成された土地だから、いつかは建物が建ってしまうのだろうとは思っていた。
家が建ちだすと一気に草むらは消えていき、それは見事な街並みへと変わっていった。
草も生えないほどぎっしりと、ほんとうに全部、家になったのだ。
仕方がない、まあ長い間楽しませてもらったと、寂しいながらも納得していた。
ただ、真美の塔がなくなってしまったのは本当に悲しくて。
子供の足で、葛城の道を奥へと歩くと塔があり。
ああ、遠くまで歩いたな、そんな目印だったから。
大きなショッピングセンターに二上山の景色が消されてしまって。
その横に、ぽっかりと空いた小さな跡。
ほんとうに、ここだったのだろうか。
今はそれすら、分からない。
草ぼうぼうで入るのも怖かったんだよ、そこ。
テニスコートになってるけど。
ここに塔があったんだ。もっと上だよ。空に浮かんでた。
変わっていくことを、楽しまなくちゃ。
そんなふうに書いていた本があって、その通りだと思うんだ。
引っ越してきてくれた新しい住人に、この街を気に入ってくれてありがとうって思う。
でもだけど。
たまには思い出して、泣いてもいいよね。
どうしてこう、子供の頃の記憶というのは、こんなにも大きいのだろう。
小さな体には広い高い世界だったこの場所も、今は普通の住宅地の一角で。
でもだけど。
たまには思い出して、泣いてもいいよね。
どうしてこう、子供の頃の記憶というのは、こんなにも大きいのだろう。
小さな体には広い高い世界だったこの場所も、今は普通の住宅地の一角で。
あっけない、こんな小さな場所に、これからも私はずっと、心を残し続けるんだろう。
思い出すのは、塔のガラス越しに見たずっと広がる草むら。
枯れた色をして、西日に照らされてまるで小麦畑のように美しかった。
入るのは怖かったけど、実は探検してみたい気持ちもあった。
結局草が深すぎて諦めたのが心残りな、あの謎の場所は、今も私の中にあるんだなぁ。
結局草が深すぎて諦めたのが心残りな、あの謎の場所は、今も私の中にあるんだなぁ。
よく年配の人から、この辺は昔は全部田んぼでね〜なんて聞くことが多かった。
今は、その言葉の中に、そんな少しの寂しさが混ざっていたのかもしれないと思うようになった。
その人の胸には、いったいどんな美しい景色と思い出が大切にしまわれているのだろう。
そう思えるようになった分だけ、またちょっと大人になったのだろう。