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自灯明法灯明

「自らを灯(ともしび)とし、拠り所として、他を灯とすることなかれ。」

六地蔵祭と通院と宮総代引き継ぎ

2014年03月24日 | 日記
今日は朝からポカポカの良いお天気に恵まれ、暖かい一日だった。
朝から地蔵尊の周りを掃こうと箒を片手に行ったら
祭り番の家の方が、既に掃き清められていたので
地蔵尊の直ぐ近くの家の方と暫く雑談をする。
午前十一時近くに成ると、ブルーシートの上にマットを敷き座布団を
広げる。
そうこうしているうちに、近くのお坊さんも来られて早速始まる
お経は、仏説阿弥陀経は分かったが、もうひとつは仏説浄土三部経と
言う物の内のいずれを唱えられたのかは分からなかった。
この六地蔵尊はお参りする日にちが毎月24日と定められているとの事
他にも各菩薩ごとに日にちが定められていると言う事だった。
お参りの後は、公民館で簡単な会食が行われ、写真はその時のもので
会費は\2,200-でした。
詳しくは、こちらをご覧ください。
http://bunkazai.uekimachitokureiku.hinokuni-net.jp/town/list/t019/t019hutatazizo.html

午後から眼科へ行くが診療開始時間が遅く二時半からで、私が行ったときは
待合室の空きは無く暫く待ってから、椅子が空いた。
総じて、眼科や耳鼻科は少ないですね、歯科は沢山有りますが
歯科はコンビニと同じ位に開業、閉院が多いんだそうだ。
と言う訳で、宮総代の引き継ぎに遅れてしまった。
私がかけつけた時には未だ引き継ぎの最中だった。
その後は決まって吞み会で、近くの飲食店で行われた
歩いて行けたので、それなり呑んで終わりました。
久し振りに酒を飲みました、退職してから宴席には何度か行きましたが
全く呑みませんでしたので、今回呑んだのは何年振りかな。

読経の前



六地蔵の由来



会食の内容
弁当は\1,000- 菜の花とヒトモジの白合え、かき玉汁、白玉の団子の餡は小豆と黒大豆
だそうです。







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4 コメント

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Unknown ()
2014-03-26 07:59:51
どうして、五でなくて七でなくて「六」なんでしょう、おひとつ解説を。
返信する
突然そんな事聞かれても (ezekiel1)
2014-03-26 09:37:22
昼行燈の私に聞かれても難しい
六と聞いてパッと浮かんだのが「六道」
調べてみると「仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界」
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道で
其々の道を救う地蔵菩薩がいらっしゃるとのことです。
実際ここの六地蔵も六面に其々の地蔵菩薩が刻まれています。
主要な往還を行き交う人々が道に迷わず、恙無く往来が出来るようにと言う意味合いで、こちらでは、あちらこちらに多くの六地蔵が有ります。
返信する
Unknown ()
2014-03-26 12:11:30
六地蔵尊、ちょっとブログ用にネタ振りをしました。

先年、日田(になるんですね)の高塚愛宕地蔵尊というところに行きましたが、あそこはお地蔵さんのメッカのようなところですね、そもそもメッカなどと言う、他宗に係わりのある言葉を使うこと自体おかしいですが。

 阿蘇の昔からある三叉路には必ずと言っていいほど道案内の神様、猿田彦大神の石碑がありますね。我が家の入り口にもありますが、少し離れたところにあったものを道路拡張で場所が無くなったので、寛政年間に寄進した先祖の名前があったので我が家の入り口に動座願いました。
返信する
なるほど (ezekiel)
2014-03-26 19:46:01
猿田彦大神は見かけた事が有ります
平べったい、自然石の前面を平らに削って
基礎の台に近い方が細く成っている様な
ものに「猿田彦大神」とか刻んであったのを
昔見た事が有ります。
こちらに住むように成ってからは、見かけた事は無いですね。
ここの六地蔵も、写真の通り我が屋の方から
見ると道のど真ん中に建っていますので
普通車は気をつけて通る事に成ります。
救急車や消防の車は絶対通れませんので
私が救急車の厄介に成った時は
この六地蔵の手前に救急車が止まってました。
今と成っては非常に交通の邪魔に成りますが罰が当たっては大変なので動かすわけにもいきません。
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