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大河内城

2013-01-03 09:03:10 | 三重県
 大河内城

2012/12/24

三重県松阪市のお城めぐり

 伊勢国司北畠氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 大河内城
よみ:オカワチ
別称:
所在地:松阪市大河内町城山525外
現状:神社
築城年代:応永二十二年(1415)
築城者:北畠満雅
形式:平山城
遺構:本丸・西の丸・二の丸・馬場・御納戸・まむし谷・土塁・堀切・竪堀・虎口
規模:標高110m余の丘陵突端部一帯、東西約400m、南北約800mの範囲に築造
文化財:県指定史跡
訪城日:2012/12/24


≪ 訪城記 ≫

国道166号線和歌山街道沿いの大河内町にある大河内地区市民センター右手の市民センター駐車場に車を駐車する。

市民センターから徒歩で山の方向へ向かう、途中、坂内川を渡り、西蓮寺前で右折し、すぐにT字路があり、大河内城跡の案内板がある。
T字路を左折して見学者用の駐車場を過ぎたら上り坂の途中、左手に搦手門跡の石柱がある。

さらに進むと鳥居があり、その鳥居をくぐった先が馬場跡と二の丸跡、御納戸跡です。
そのまま道を登っていくと右手に大河内神社がります。そこが本丸跡で本丸跡の石碑と説明板があります。
さらに奥に進むとまむし谷に架けられた橋があり、渡った先が西の丸でここにも神社があります。
神社の裏には削平された出丸のような杉林とまむし谷の堀切が見られます。
大河内地区市民センターから本丸神社まで約600mで約20分です。

城の西南1㎞の山頂に脇谷城、北東2.5kmの山頂に立野城、北2kmの丘陵突端に岡ノ谷城が大河内城に向かう谷筋を押える位置に出城的に配されている。<日本城郭体系より>


≪ 歴 史 ≫

応永二十二年(1415) 伊勢国司北畠満雅が築城し、北朝方の足利軍と一戦交えようとして、弟顕雅をこの城に籠らせて以後、代々この城を拠点として大河内御所と称した。
永禄年間(1558-69)伊勢国司八代北畠具教が修築。
永禄十二年(1569)八月 織田信長が南伊勢へ侵攻した際、伊勢国司北畠具教はこの城に本拠を移して信長軍を迎え撃ったが、伊勢国司北畠氏の家督を信長次男茶筅丸(信雄)に譲ることで和議が成立し、具教は城を開け渡し落ちて行った。
元亀二年(1571) 家督を継いだ信雄が一時居城とする。
天正三年(1575) 信雄が度会郡に田丸城を築いて移ったため廃城となる。


≪ 写 真 ≫


大河内城全景


本丸跡(大河内神社)


大河内合戦四百年記念碑


西の丸跡


まむし谷


二の丸跡


馬場跡


現地案内板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR紀勢本線松阪駅前から三重交通バス道の駅飯高駅行20分、広坂バスで大河内バス停下車。徒歩約10分。
<車>
伊勢自動車道松阪ICから7.5km。県道58号、国道166号経由で飯南方面へ15分。


≪ 位置図 ≫

大河内地区市民センター


登城口


大河内城


紹介したお城の数 1城



三重の山城ベスト50を歩く
福井 健二,竹田 憲治,中井 均
サンライズ出版