1988年3月13日、青函トンネルを通るJR津軽海峡線(中小国~木古内)が開業。
同時に青函連絡船が80年の歴史の幕を閉じた。
同時に青函連絡船が80年の歴史の幕を閉じた。
青函トンネルは、全長53.85km、その43%が海底である。
長らく世界最長のトンネルであった。
3月13日の出来事:災厄の続く、宝永年間の始まり
1704年:前年11月の元禄大地震により宝永に改元。
1704年:前年11月の元禄大地震により宝永に改元。
『旧唐書』の「寶祚惟永、暉光日新」から。
皇帝の徳が光り輝き、そして世の中を一新するという意味。
宝永4年(1707年)に、南海トラフ巨大地震の一つで、歴史上日本最大級と推定されている宝永地震(M8.4~9.3)が発生、その49日後には、今日までにおける史上最後の富士山の噴火となった宝永大噴火が起きている。
皇帝の徳が光り輝き、そして世の中を一新するという意味。
宝永4年(1707年)に、南海トラフ巨大地震の一つで、歴史上日本最大級と推定されている宝永地震(M8.4~9.3)が発生、その49日後には、今日までにおける史上最後の富士山の噴火となった宝永大噴火が起きている。
wikiより
1(第一火口)、2(第二火口)、3(第三火口)、4(宝永山)
宝永年間は、数多くの災害に見舞われている。
慶長年間もすごかったけれど、それは、また別の機会に。
以下、宝永年間における災害関係一覧
元年:4月24日 羽後・陸奥で地震、野代(現在の能代市周辺)で大被害。
2年:12月15日 霧島連山の高千穂峰御鉢が噴火。
12月 桜島が噴火。
3年:10月16日 浅間山が噴火。
4年:10月4日 東海道・南海道を中心に推定M8.4-9.3の大地震(宝永の大地震)・大津波。
11月23日 富士山が史上最後の大噴火(宝永大噴火)。江戸でも降灰を記録。
5年:3月8日 京都で宝永の大火、禁裏をはじめ1万0351軒を焼失。
11月18日 浅間山が噴火。28日にも噴火。
6年:1月4日 阿蘇山が噴火。
3月14日 岩木山と三宅島が同じ日に噴火。
7年:3月15日 浅間山が噴火。
8年:2月26日 浅間山がまた噴火。
12月 桜島が噴火。
3年:10月16日 浅間山が噴火。
4年:10月4日 東海道・南海道を中心に推定M8.4-9.3の大地震(宝永の大地震)・大津波。
11月23日 富士山が史上最後の大噴火(宝永大噴火)。江戸でも降灰を記録。
5年:3月8日 京都で宝永の大火、禁裏をはじめ1万0351軒を焼失。
11月18日 浅間山が噴火。28日にも噴火。
6年:1月4日 阿蘇山が噴火。
3月14日 岩木山と三宅島が同じ日に噴火。
7年:3月15日 浅間山が噴火。
8年:2月26日 浅間山がまた噴火。
てな具合ですが、現代のその日は、確実に近付いているようです。
話は全然変わりますが、小松左京『復活の日』では、ウイルスと核ミサイルでしたが、これに自然災害が加わったらと思うだけで、絶望的な終わった感が漂います。
実際に、ウイルスに加え核の危機も近づいているようで、平穏な日々がある日突然終わりを告げるのではないかと、思う方は多いはず。南無
3月13日生まれの「日本語ロッカー」
1956年:佐野元春(歌手)
洋楽ばかり聞いていた頃の f-o-q 。
前奏部はもうモーレツに気恥ずかしく、ザワザワと鳥肌が立つのを抑えられない。
もう、止めて。と叫びたくなるような気持ちにさせられた。
ところが、どっこい敵もさるものヒット曲ってやつは、来る日も来る日も、流れてくる。
そのうちに、なんか悪くないかもしれないと思うようになってきた。
いや、いいんですよね。当初違和感を抑えられなかったのは、歌詞と曲にあると気付いた。
日本語がロックしてることに、ある種の拒否感が作用してたのかと思う。
今は、日本語ロックが当たり前で、洋楽聴いてる人は減ってるのか、文化的なものも内需で賄えてしまう時代になったのでしょうか。
3月13日の誕生花:「 甘草:順応性 」
花は昼咲きまたは夜咲きで、一日でしぼむ一日花
淡黄色、黄色から橙赤色系統まである。多年草で、一般に日当りのよい陽地に多い。
では f-o-q