日本電気協会が1927年9月に制定。
1878年(明治11年って、維新からわずか10年!です。)3月25日、工部省電信局は、万国電信連合に加盟する準備として東京・銀座木挽町に電信中央局を設け、その開局祝賀会を東京・虎ノ門の工部大学校(現在の東大工学部)の講堂で開催。
祝賀会は、大臣や各国行使など150名を越える人々が参加し、盛大に行われた。
この日、会場に電気灯を使用するよう、工部卿伊藤博文から特に命ぜられていた英国人エアトン教授は、グローブ電池50個を使い、講堂の天井に設置されたアーク灯(「デュボスク式アーク灯」)を点灯するため、自ら難しい調整にあたっていた。
やがて6時、エアトン教授の合図とともに、目もくらむような青白い光がほとばしり、講堂をくまなく照らし出し、その場にいた来賓たちは、「不夜城に遊ぶ思い」と驚嘆の声をあげた。
やがて6時、エアトン教授の合図とともに、目もくらむような青白い光がほとばしり、講堂をくまなく照らし出し、その場にいた来賓たちは、「不夜城に遊ぶ思い」と驚嘆の声をあげた。
これが、日本で電灯が公の場ではじめて点灯された瞬間である。
エアトンは、学生らと50個のグローブ電池を準備し、デュボスク式アーク灯を天井に設置。同日午後6時、会場がアーク灯の青白い日光に照らし出されると、150人を超える来賓が驚嘆したが、しばらくするとシューという音とともにアーク灯が切れて会場は真っ暗闇に、とはいえ日本で初めて電灯が灯った日となった。
(公の場においてということで、準備は?試験は?とか・・・無粋なことは控えましょう)
このことから日本電気協会が1927年に3月25日を電気記念日と制定した。
因みに、アーク灯は20世紀初頭まで、街路灯などの照明として広く使用されたが、放電で生じる音や明るすぎるという理由から家庭での利用には難があった。白熱電球が発明されると、アーク灯は白熱電球を用いた電灯に置き換えられていった。
3月25日の出来事:「 讒訴による討伐 」
649年:我が国初の右大臣蘇我倉山田石川麻呂、山田寺で一族もろともに。
645年、中大兄皇子が中臣鎌足と共謀して入鹿の誅殺をはかった時(乙巳の変)に、暗殺の合図となる朝鮮使の上表文を大極殿で読み上げた蘇我倉山田石川麻呂。
649年、異母弟の日向に石川麻呂が謀反を起こそうとしていると密告される。
孝徳天皇により派遣された穂積咋が兵を率いて、飛鳥にある石川麻呂氏寺の山田寺を包囲したため、長男の興志ら妻子と共に山田寺で自害。
この事件は中大兄皇子と中臣鎌足の陰謀であったとされている。
孝徳天皇により派遣された穂積咋が兵を率いて、飛鳥にある石川麻呂氏寺の山田寺を包囲したため、長男の興志ら妻子と共に山田寺で自害。
この事件は中大兄皇子と中臣鎌足の陰謀であったとされている。
黒岩重吾さんの小説読むと微妙に肩入れしたくなるお方です。
というか、中大兄皇子と中臣鎌足のコンビであまりにもやりすぎ・・・ではないですか?
3月25日生まれの「 銀幕のヒロイン 」
1924年:京マチ子 (女優)
肉体を武器に男を手玉に取る女、夫の前では貞淑な妻ながら裏では若い男と通じる女、
不器量だが心優しき女性、様々な女性の人生や業を演じる京マチ子は、大映トップ女優として君臨、国際女優として確固たる地位を確立
不器量だが心優しき女性、様々な女性の人生や業を演じる京マチ子は、大映トップ女優として君臨、国際女優として確固たる地位を確立
黒澤監督『羅生門』(1950年)、衣笠監督『地獄門』(1953年)、
溝口監督『雨月物語』(1953年)は、ぜひともおさえておきたいです。今すぐ。
3月25日の誕生花:「 ミモザアカシア(房アカシア):秘めやかな愛 」
丸い黄色の小花が集まり、ふんわりとした房状になって垂れ下がるのです
では f-o-q