「おおしたさん」のブログです

2005年6月に始めたこのブログ、鍼灸院をやってた頃のことを含め、今も気ままに書いています。

生と死はシームレス?

2023年08月02日 | 宗教、哲学

私たち凡人を「丸ごと救う」と宣言し阿弥陀仏になられた法蔵菩薩、この事実からして生きながらにして私たちは浄土が確約されている。信心定まればすなわち往生定まるわけだから。でも裏を返せば生きていながらにしてすでに死んでもいるという事でもある。

生と死はシームレス?

無知で愚かな凡夫の私、そんな私を阿弥陀様は必ず浄土に連れていくと約束した。

必ず死ぬという恐怖、中島義道は著書の中で「死ぬ存在に幸福はあり得ない」と言っているが、私もそこへの比重が重いみたいだ、ふとした時に厭世観に苛まれる。

母の死で出会った浄土真宗、南無阿弥陀仏で生きれば浄土が約束される、なかなか面白い仏教だ。ということは生きているうちに死の確約、すなわち生きている今すでに、浄土につながるレールの上で死んでいるということか。うん、なかなかに興味深い。そんなこんなを考えながら、全くどうでもよい話、死の瞬間は果たして生の最後か死の始めか、その捉え方次第ではなんだか生きやすくもなるような気がするのだが、私の脳みそではそれ以上踏み込めない。

とりあえず、生きている間に浄土が確約されるというのであれば、生きないがらにすでに死んでいるという視点、死を内在しつつ生きているという視点から生と死との繋がりを考えるのは面白そうだ。

まあ、四の五の言わず深く考え過ぎず、凡夫の私でもちゃんと生活をしていればなんとかなるのよ。そう思わせてくれるのが南無阿弥陀仏なのかと。まだ信心浅い私なのでこれ以上深掘りはしないが、死を約束されて生まれるこのかわいそうな世の生き物のために寄り添ってくれるのが阿弥陀様。この視点を見つけた浄土信仰、法然さんから親鸞さんへの系譜、死ぬまで生きてりゃ後はなんとかするから、みたいな適当なところも、浄土信仰の面白さのような気がしている。

 

阿弥陀様がそこにいる。それは法蔵菩薩が48の願いの全てを叶えたという事。そうなのだ、実際に願いを叶えたから阿弥陀様が存在するし、全ての人はすでに救われているのだ。「救ってくださりありがとうございます」とそれだけで良いのだと


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