長男の結婚の顔合わせで小樽に行ってきました。
温かい方々に囲まれての美味しいお寿司とお酒に少々酔ってしまいました。
嬉しい時間を過ごすことができました。
皆さん、ありがとうございました(^^♪
「生きてくれてるだけでありがたい!」
このように思うようになったのは、私の不注意で子どもに大きな怪我を負わせてからでしょうか。
それ以前は、正直子育てに積極的に参加していなかったように思います。
そんな、子育ての出発点が子どもの「生きるか死ぬか」から始まってるので、子どもにこうなって欲しいとかはあまりなかったように思います。
だから、
子どもがどんな生き方見つけてくれるのか、楽しみでしかありませんでした。
子どもって神様からたまたま預かっているだけの存在だと思っています。
なので私の子育てのスタンスは、「社会で生きていけるようになるまで、年長者として生活を教える」だけ。
「私が出来ること限られてるけど、尻拭いは私がやるし、やりたいことあれば挑戦してみんさい!」
…ってな感じなのです(実際はなかなか難しいですが…)
子どもは子どもなりに考えているもの。
関われるのは中学くらいまででしょうか。
高校なったらこっちからは構わないし構う事なんてできないです。
関わりたい時はあっちから言ってくるから、それまで辛抱。
「子どもに対する最大のプレゼントは親の積極的な関心」
という言葉がありました。
積極的な関心…
これまたなかなか難しいですが、こっちが必死で関心を持とうとすればするほど鬱陶しく感じるもの…
いつも見守ってるよ!というサインだけは出し続け、あとは相談を受けた時に話をする。それでいいのではないかと思うのです。
それ以外は話も適当に世間話に終始するだけ。
「あんたが何もしなくても何もできなくても、ココにいてくれるだけでいいんだよ!」
的な感じで。
あなたの居場所はココにあるからね!
これ、とっても気にしてるところです。
親が提供できるのは、アドラー曰くの所属感くらい…
親が何をやろうが何もしないでいようが、子どもは子どもなりに育ちます。
こうなって欲しい…っていうは親の欲…
どんな未来をつかむんだろう?っていうドキドキワクワクで見守りたいなぁ…って思ってます。
それぐらいの気持ちで子育てしたらいいのではないかと思うのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます