築地本願寺の18品の朝ごはん。
とても美味しくいただきました(^○^)
母がお坊さんとよく話をしていたという事と、五木寛之さんの著書に親鸞聖人の話がよく出てくるという事で、自然と親鸞聖人に興味をもつようになり、仏教関係の本を多く読むようになりました。
そういえば、、
親鸞聖人の話ではないですが、五木寛之さんの本を読んで思ったことを以前書いていました。
「治す」とか「治した」とか、なんておこがましい!!
90.こんな時代に毎日、明るく爽やかに生きていける人は、病気である。「世間病むが故にわれ病む」というのが人間的な人間である。だからこそ、病める時代に病みつつ生きる養生の工夫が必要なのだ。
五木寛之著「養生の実技」
親鸞聖人が山を下りた時代は疫病に地震、津波、内乱と社会は混乱の真っ只中にあったそうです。
はかなきこの世を過ぐすとて
海山稼ぐとせしほどに
万の仏に疎まれて
万の仏に疎まれて
後生この身をいかにせん
梁塵秘抄
(下賤な身分のこの私。すべての仏に見放されてしまった。地獄に行くしかないのだろうか。、、みたいな意味)
※ 海山稼ぎ;農業以外、猟師や遊女、殺生や病気に携わる人やいやしい職に従事する者を指すとのこと。
全ての仏に見放されてしまったっだなんて。
なんと辛くてしんどい歌ではありませんか。
そんな時代に登場した念仏信仰、なぜにあれだけ熱狂的な勢いを持って広がっていったのだろう、、って。
そんな時代に親鸞聖人は
生死の苦海ほとりなし
ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける
「あなたたちを極楽浄土へ必ず渡してみせる!」と力強く誓うのです。
この宣言に救われた人は沢山いたはず。
この力強い宣言に勇気をもらった次第です。
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