「おおしたさん」のブログです

2005年6月に始めたこのブログ、鍼灸院をやってた頃のことを含め、今も気ままに書いています。

弥陀弘誓のふねのみぞのせてかならずわたしける

2020年11月04日 | 宗教、哲学
築地本願寺の18品の朝ごはん。
とても美味しくいただきました(^○^)


母がお坊さんとよく話をしていたという事と、五木寛之さんの著書に親鸞聖人の話がよく出てくるという事で、自然と親鸞聖人に興味をもつようになり、仏教関係の本を多く読むようになりました。

そういえば、、
親鸞聖人の話ではないですが、五木寛之さんの本を読んで思ったことを以前書いていました。


「治す」とか「治した」とか、なんておこがましい!!

90.こんな時代に毎日、明るく爽やかに生きていける人は、病気である。「世間病むが故にわれ病む」というのが人間的な人間である。だからこそ、病める時代に病みつつ生きる養生の工夫が必要なのだ。
五木寛之著「養生の実技」


親鸞聖人が山を下りた時代は疫病に地震、津波、内乱と社会は混乱の真っ只中にあったそうです。

はかなきこの世を過ぐすとて
海山稼ぐとせしほどに
万の仏に疎まれて
後生この身をいかにせん
     梁塵秘抄
(下賤な身分のこの私。すべての仏に見放されてしまった。地獄に行くしかないのだろうか。、、みたいな意味)
海山稼ぎ;農業以外、猟師や遊女、殺生や病気に携わる人やいやしい職に従事する者を指すとのこと。
全ての仏に見放されてしまったっだなんて。
なんと辛くてしんどい歌ではありませんか。


そんな時代に登場した念仏信仰、なぜにあれだけ熱狂的な勢いを持って広がっていったのだろう、、って。

そんな時代に親鸞聖人は
 
生死の苦海ほとりなし
ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける

「あなたたちを極楽浄土へ必ず渡してみせる!」と力強く誓うのです。

この宣言に救われた人は沢山いたはず。

この力強い宣言に勇気をもらった次第です。

 


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