、、、の続きです
シュリーナガルになんとか到着、そこで外人二人とは別れ、街を歩いていると、話好きな小太りのインド人に絡まれた。そのインド人のおじさんに言われるがままに、ダル湖に浮かぶハウスボートに泊まる事となった。多分そのハウスボートはそのおじさんの親戚か知り合いがやっていたのだろう、何泊したのか忘れたが、どう考えてもそのおじさんのハウスボートでは無い。でも毎朝そのボートハウスの舳先に立って、木の棒みたいなものを使って歯磨きを入念にしていた。別のところで歯を磨けばいいものを、何故だかその記憶だけは鮮明に覚えている。
ハウスボートは排泄も飲み水も湖で完結する。だから綺麗な湖ではなかったと思う。早く馴染もうと現地のものを飲み食いするようにしていたのだが、そんな口とお尻が直結しているものをずっと食べ続けてきたインド人の胃腸に短期間で近づくことなんてできず、結局最後まで下痢には苦労した。日本から持っていった陀羅尼助丸(1)にもお世話になったのだが効果は最初だけ、この丸薬では下痢を止める事ができない状態になり、薬局で下痢止めを購入、インドの薬に何が入っているのか定かではなかったが、結局それがとても効いて、道中のお守りになってくれた。とりあえず、ドミトリーでアメーバ赤痢に罹った日本人の介抱であちこち飛び回った事も後にあったので、下痢だけに悩まされただけで終わったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。
ところで観光はボートに乗って湖をぐるぐるしたぐらいしか思い出せない。あとは山並みは綺麗だったような気がする。いやあれはグアテマラのアティトラン湖だったか、シュリーナガルのダル湖と青年海外協力隊の語学研修中に訪れたアティトラン湖が何故だか混同するので記憶というものは大体において自分の都合の良いものに変換される。あっ、朝に夕にコーランが流れていたのはここだけだったので、それもこれを書きながら思い出した。
ジャンム駅から列車に乗ってガンジス川を南下しカルカッタに行く事にしたのでシュリーナガルのバス停でバスを待っていると、日本語ができるインド人青年が声をかけてきた。なんでもレー・ラダックからの帰りだとのこと。そして自宅の近所の日本人がやっているお寺(確か日本山妙法寺だったと思う)で日本語を学んでいるとのこと。その青年にレー・ラダック地方への旅行を勧められたが、シュリーナガルにも行き当たりばったりでやってきたのに、ここより北だなんて、わからないどころか北上する気なんてさらさらない。まぁ、今思えばこのチベット圏であるレー・ラダックは行っておきたかったとも思うのだが。とにかくその青年と意気投合し、バスに乗り込んだ。シュリーナガルからジャンムに向かうバスはかなり危険な断崖絶壁を辿る道である。渓谷を上から覗くと、ガードレールもないのでかなり怖い。うん、ちょっとの雨で通行止めになるのもうなづける。とにもかくにもジャンム駅に到着、青年の住む街に立ち寄ることを誓ってジャンム駅で彼と別れた。
続く
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