昨夜は患者さんとの差し飲みの日でした。
5年は会っていなかったかな、いろんな事業をしてる方で、生き方といいますか、感性も合うといいますか、10年以上前に来院された頃の症状や、仕事のことや、多岐にわたる話を美味しいお酒とともに楽しむことができました。
あっ、行ったお店は五反田のやきとん屋、グラス並々の焼酎を二人でコップに注ぎ直してお湯割りしてたらいつの間にか飲み過ぎてしまい、気がついたら市川駅。五反田から市川にどうやって行ったのか全く覚えていないという始末。結局家に着いたのは午前1時を回ってて、久しぶりに酔っ払っちゃいました。
自分が親から一番愛されてきたと思えたら
子育てで一番大切にしてきたことは兄弟仲だ。そのためにあれこれ考えて育ててきたつもりだが、子ども自身「自分が親から一番愛されて育てられた」という気持ちを抱くというか、錯覚するというか、この気持ちさえ持つことがきれば、他の兄弟にも優しくなるだろうし、兄弟仲は良くなるのではないかという仮説を立てて子育てをしてきた。
今のところ、お嫁さんも含めて兄弟仲は良いように思う。自分で言うのはとても厚かましい事だが、これは多分に依怙贔屓しないで子育てをしてきたからだと自負している。下のブログにも書いたが、依怙贔屓しないで子どもを育てる事はとても難しい。自分では依怙贔屓しているつもりは無くても、子どもそう受け入れたらそれはもう依怙贔屓だから。
この依怙贔屓しない子育てであるが、皆が一緒の時はどうしても難しい。だからできるだけ満遍なく一人一人をピックアップし、二人だけの時間を作るようにした。そしてその二人きりでいる間に思いっきり依怙贔屓した。四人もいると一人一人をピックアップするのはなかなか難しいが、この「依怙贔屓しないための依怙贔屓作戦」はなかなか良い作戦だったと思う。これで兄弟仲は格段に良くなったのではないかと、一人ほくそ笑む自分がいる。
ただ、これからお互い結婚し子どもができた時にどうなっていくか、伴侶ができてもお互いが気遣えるような兄弟仲であってもらいたいとは思うが、それはこれからの楽しみにしたい。
とりあえず「私が親から一番愛された」という思いさえ持つことができれば、兄弟に優しくできるし、親だけでなくどこに行っても自分を愛してくれる人がいると錯覚するのではないだろうか。この「錯覚」はとても大切で、これさえあれば、どこへでも羽ばたいて行くことができると思う。
「私は愛されてきた」という思い込み。
この気持ちを持つことができれば、親だけでなくどこに行っても自分を愛してくれる人がいるという思いにつながるのではないかと思っています。
この気持ちさえあれば、どこへでも羽ばたいて行くことができると思うのです。
子どもへの実践で気を付けていることが
「 えこひいきしない 」
「できるだけI(アイ)メッセージで伝える」
です(^。^)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます