「おおしたさん」のブログです

2005年6月に始めたこのブログ、鍼灸院をやってた頃のことを含め、今も気ままに書いています。

蓮如上人の生涯を学んで思ったこと

2023年10月20日 | 宗教、哲学
子どもの頃にもらった数珠を今も使っています。親玉に透かしがあり、のぞくと阿弥陀様を拝むことができるもので、多分2000円くらいで買えると思います。プラスチックでできた見るからにちゃちいものですが、愛着もあるので多分死ぬまで使い続けると思います。

毎週仏教のオンライン講座を受講している。だいぶ前の話だが、蓮如上人についての講座の後吉崎御坊について調べていましたら、「数百年前から続く集落の信仰拠点に存続危機…浄土真宗の門徒らが管理する「道場」、福井で今何が」という記事を見つけた。なんでも福井県には浄土真宗門徒の手で管理され、集落の信仰拠点となっている「道場」があるそうで、それが高齢化により存続が危ぶまれているという記事だった。寺が無くても自主発生的に起こる北陸の信仰心の豊かさ。蓮如上人による僧俗一体の勤行スタイルが地方の集落で今も脈々と続いていることに驚きを隠せなかった。

5月27日福井新聞
浄土真宗の門徒らの手で管理され、集落の信仰拠点となっている「道場」。過疎化で存続の危機にさらされているところもある。福井県の嶺北地域には200近くあるとされ、福井独自の宗教文化を育み、住民交流の場としても機能してきたが、福井市美山地区の山あいでは人口減少などで、数百年にわたって守られてきた道場の未来を描けないでいる。

講義を聞いて思ったのが、蓮如上人はピンチをチャンスに繋げるのが上手かったという事。蓮如上人の継職時、天台宗の末寺として比叡山に上納金を納めていたとか、天台経典や絵像を設置しなければいけなかったとか、8代目にもなるのにまだ天台宗から抜けることができていなかった。そこからの浄土真宗逆転劇は実に見事だったと思った次第だ。

どれもこれも、蓮如上人のカリスマ性は父親である存如の基盤があっての事。存如が正信偈と三帖和讃に着目していたからこそ、それを継承することができた。その下地と蓮如上人のカリスマ性とが相まって大規模な教団になっていった。

安芸法眼蓮祟の話も面白かった。本当は浄土真宗の国を安芸法眼蓮祟は作りたかったのではないかという話、蓮如上人は蓮祟の先見の明を高く買っていたのか、はたまた自分と同じ匂いを感じたのか定かではないが、結局正親に蓮祟が勝ったことで、その先見性が証明されたとの事、興味深い話を伺った。

ところで吉崎御坊について、検索すると親鸞会の吉崎御坊が検索上位に上がる。私のパソコンのみ検索上位に上がっているだけなのかもしれないが、親鸞会が検索上位にくるのは甚だ遺憾だ。オンライン講座で瓜生崇先生がそのカルト性について散々解説されてきたので親鸞会を気にするようになったのだが、ここにも出てくるだなんて正直ビビる。新教宗教は信者数を増やすことを一義とする。だからネットでのその上位性に、真宗教団連合は何をしているのだろうと思う事もあるが、すでに盤石な基盤を持つ宗教団体が動かないのもよくわかる。だがその辺は素人ながらにどうしたものかと思うこと頻りだ。



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