かなり前に紹介したことのある「死ぬ瞬間」という本があります
エリザベス・キューブラー・ロスというスイスの精神科医が書いた本です。
この本は1969年に出版されています。死とその過程を専門的に研究した最初の書物だそうです。
著者は200人の末期ガン患者に直接面談し、彼らが死にいたるまでに、「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」の5段階の心の動きがあることを発見しました。後で簡単に書きますね。
尊厳死とかホスピスの出発点となった本で、聖ヨハネ会桜町病院ホスピス科部長の山崎章郎さんやノンフィクション作家の柳田邦男さんにも大きな影響を与えたようです。
知っている方のほうが多いかもしれませんが、ご存知無い方は一度読んでみてはいかがでしょうか。
どんなことが書かれているかといえば、例えば
子どもにしても、不幸があった家にいさせてもらえ、会話や議論や恐怖の仲間に入れさせてもらえさえすれば、悲しみのときでも一人ぼっちではないという気持ちになれるし、責任を分担し、ともに悲しむことで慰めが得られる。そのことでじょじょに心の準備ができ、死もまた人生の一部だという事を学んでいく。これは彼らの成長・成熟にとって貴重な経験である。
それとは全く対照的なのが、死をタブー視して死を口にする事を忌み嫌い、「ショックが強すぎる」という先入観や口実に基づいて子どもを除け者にする社会である。子どもたちはたいていの場合、「お母さんは長いたびに出たんだよ」という説得力のない嘘や信じられない作り話を聞かされ、親類に預けられる。子どもはなんか変だという事を察知する。親類はまた違う作り話を聞かせ、子どもの質問や疑問にちゃんと答えず、子どもが悲しみの場に参加できないことへの粗末な代償として、やたらにプレゼントを与える。それによって、大人に対する子どもの不信感はますます深まる。遅かれ早かれ、子どもは家族状況の変化に気づき、年齢や性格によって違いはあるが、未解決の悲しみをかかえたまま、人の死を謎にみちた恐ろしい出来事とみなすようになる。いずれにしても、子どもは、信頼できない大人によって非常に深い精神的外傷をうけ、自分ではそれに対してどうすることもできない。
今日、死の過程がいろいろな意味で以前よりつらいものになったということである。死の過程はより孤独に、より機械的に、より非人間的になった。
死ぬ瞬間 E・キューブラー・ロス著、鈴木晶 訳 読売新聞社 刊より
自分がそのような状況に置かれた場合、どうするでしょうか?この本を読まなければうまく取り繕う事を考えたと思います。
子どもにこそ真実を話し、互いにつらい事実を支えあう必要がありますね。
この本では死とその過程に対するさまざまな姿勢を紹介しています。
第一段階 否認と孤立
自分が死ぬ事等を拒否等する段階。
まだ自分の病気を認めることができない。
第二段階 怒り
自分が死ぬ事等に怒る段階。
どうして私なのか。あの人じゃないのか。すべてのものに対する怒り。
第三段階 取り引き
自分が死ぬ事等に条件を付ける等する段階。
命を少しでも延ばしてもらえるなら「人生を神にささげる」「教会に奉仕する」等
第四段階 抑鬱
自分が死ぬ事等に抑鬱する段階。
無気力、冷静になる。怒りが喪失感に変わる。
第五段階 受容
自分が死ぬ事等を受け入れる段階
自分の運命に気が滅入ったり、憤りを覚えることがない状態。
毎章の最初にタゴールの詩の一節が載っているのですが、これがまた深い……。
下の詩はその一つ
器の中の水は光る。海の水は暗い。
小さい真理は明瞭な言葉をもつが、大きな真理は大きな沈黙をもつ。
タゴール 「迷える小鳥」176節
いたるところに生きるヒントがちりばめられています。
<人生、出会いと別れの積み重ね>・・赤ちゃんでさえ<イナイ・イナイバー遊び>の中で、小さな小さな”死と再生”の体験をしているのに・・。
いつの間にか・・死を避けるように教育されていく我々。
そんな科学万能主義の幻想中で、キューブラーロス女史の残した業績”死にゆく人との対話”は、それこそ、人々に計り知れない程の影響を与えてくれたと思いますね。