高層ビルの窓に映る空が好き!
子どもがいても、いなくても
今に至るまでに色々あったが、それなりになんとか生きてきた。とりあえず、私の人生を私自身がどう評価するかはわからない。でも死ぬまで正しく生き続けたいとは思っている。
誰かと結婚して、子どもを育てるのが当たり前だと思っていた。そしてなんとかなるとも思っていた。だから子育てを何も考えずにやることができた。私の時より今は子育てが難しい時代だと言われているが、多分今の時代に子どもを育てたとしても、普通に子どもを儲けて子育てをしてきたと思う。
とはいうものの、相手が見つからず結婚もせず、子どもを儲けない人生を歩んでいたかもしれない。実際思うようにならないのが人生だ。結婚してもしなくても、自らが選んだ人生だと思って受け入れ、それなりに楽しみを見つけて生きていかなくてはならない。
子どもがいない悲しみがあるとすれば、子どもがいるから辛いだとか悲しいだとか、自分の夢に邁進できなかっただとかいった、そういう話もあるだろう。
子どもを嘆く事もあるだろう。20代で結婚し子どもが4人、確かに羨ましいと言われる事は多い。でも収入があって色々な娯楽に楽しめる時に子育てにお金を使われて「かわいそうね」という感想もあると思う。実際子どもがいなけりゃそれなりに旅行なんぞをして楽しく生きていたかもしれない。
話は変わるが不妊治療の話、高齢で不妊治療まで踏み切ることができる人を私は尊敬する。そういう人は多分、自分の力で自分の運命を切り開く事をしてきた方なのではないかと思う。私みたいに流されて生きてきた者は、そこに踏み切るのは難しいような気がする。
子どもがいる人に不妊治療の云々を語られても、と言われると返す言葉が見つからないが、どうしてそこまで大金を払って、みたいな気持ちはいつもある。実際高年での初産は赤ちゃんができるのも難しいし、できたとしても流産の可能性は無茶苦茶高い。仮に育っとしても、ダウンちゃん等染色体異常の確率はとんでもなく上がるから、そのトラブルを考えると多分色々考えてしまうと思う。それに加えて自分が病気にかかる割合も20代とはわけが違う。とにかく年齢が上がれば自分も赤ちゃんも全てにおいてリスクが上がる。
高年不妊治療を経ての出生前診断、自らの意思で生きてきた人なのだろう。頑張れば何でも手に入ると思っている節があるような気がする。でもどうする事もできない運命を多く経験すれば、色々と考えることも増えてしまう。明日何がどうなるかわからない人生を歩んでいる私たち、加藤諦三先生のこの「変えられないことはそのまま受け入れましょう」という言葉は結構重い。そのための生き方をどう学ぶか。死ぬまでとにかく生き続ける、という自分なりの人生への思いを考える時、なぜだか親が幼少期のその時その時の自分をちゃんと愛してくれたのだろうといった思いがよぎる。何気に親がしてくれていたことを、私は子ども達にできていただろうか。ついそんな事を考えてしまう今日この頃である。
— 加藤諦三の格言bot (@katotaizo_bot) August 21, 2018
出生前診断、陽性でなくてラッキー、ではない。
出産する前からこのようなことに一喜一憂して、果たして子育てができるかどうか。
出産する前からこのようなことに一喜一憂して、果たして子育てができるかどうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます