「おおしたさん」のブログです

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子どもがいても、いなくても

2023年08月22日 | 考えていることとか思っていることとか
高層ビルの窓に映る空が好き!

子どもがいても、いなくても

今に至るまで色々あったが、それなりに生きてきた。とりあえず、私の人生を私自身がどう評価するかはわからないが、死ぬまで正しく生き続けたいとは思っている。

私は誰かと結婚して子どもを育てるというのは当たり前の事だと思っていた。そしてなんとかなるとも思っていた。だから子育てを何も考えずやることができた。私の時よりも今は子育てが難しい時代だと言われているが、多分今の時代に子どもを育てたとしても、普通に子どもを儲けて子育てをしてきたと思う。

とはいうものの、相手が見つからず結婚もせず、子どもを儲けない人生を歩んでいたかもしれない。まあこれまで思うようにならない事の方が多かったので、結婚しなかったとしても、それを自らが選んだ人生と思って受け入れ、それなりに楽しみを見つけて生きていたと思う。子どもがいない悲しみがあれば、子どもがいるから辛いとか、自分の夢に邁進できなかった事を嘆く事もあるだろう。20代で結婚し子どもが4人、確かに羨ましいと言われる事は多い。でも一番楽しめる時に「かわいそうね」という感想もあると思うし、子どもがいなけりゃ、それなりに旅行なんぞをして楽しく生きていたかもしれない。

そういえば、以前不妊治療の話を書いたが、高齢で不妊治療まで踏み切ることができる人を私は尊敬する。そういう人は多分自分の力で自分の運命を切り開く事をしてきた方なのではないかと思う。私みたいに流されて生きてきた者は、それに踏み切るのは難しいような気がする。子どもがいる人に不妊治療の云々を語られても、と言われると返す言葉が見つからないが、どうしてそこまで大金を払って、みたいな気持ちは今でもある。実際高年での初産は赤ちゃんができるのも難しいし、できたとしても流産の可能性も若い時より低くはない。仮に生き延びたとしてもダウンちゃん等染色体異常の割合は数倍に跳ね上がる。それに加えて自分が病気にかかる割合も20代とはわけが違う。とにかく年齢が上がれば自分も赤ちゃんも全てのリスクが高くなる。

自らの意思で生きてきた人は、頑張れば何でも手に入ると思っている節があるような気がする。でもどうする事もできない運命を多く経験すれば、達観して考えることも増えてしまう。明日何がどうなるかわからない人生を歩んでいる私たち、加藤諦三先生のこの「変えられないことはそのまま受け入れましょう」という言葉は結構重い。そのための生き方をどう学ぶか。死ぬまでとにかく生き続ける、という自分なりの人生への思いを考える時、なぜだか親が幼少期のその時その時の自分をちゃんと愛してくれたのだろうといった思いがよぎる。何気に親がしてくれていたことを、私は子ども達にできていただろうか。ついそんな事を考えてしまう今日この頃である。


出生前診断、陽性でなくてラッキー、ではない。
出産する前からこのようなことに一喜一憂して、果たして子育てができるかどうか。



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