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広島のこういう綺麗な場所を紹介できる仕事もしたいな、って( ´∀`)
とうとう動きだしてしまった。仕事と子育てに追われた東京での数十年、コロナ禍を経て、またその最中に亡くなった母の死をきっかけに、ますます受け身になる自分がいた。前回のブログで「やらない理由を探すのが得意」と書いたが、治療院を長くやれば、どんなポンコツ治療家だって既存の患者が何もしなくても来院するようになる。そして自分自身、特に治療院を大きくしたいとも思ってなかったし、身の丈に合った生活で十分だったので、東京にいれば過不足なく生活できたとは思う。
しかし子どもが離れ、人生の最終章を迎え、自らの興味を転々とするうちに、もう少し人とつながる仕事がしてみたいと思うようになっていった。多分それは「無財の七施」を意識するようになってからだ。
無財の七施。これは仏教に由来する施しのことで、金や物がなくても周りの人を温かくする方法だと解釈している。
無財の七施
- 眼施(げんせ)
やさしい眼差しで人に接する - 和顔施(わげんせ)
にこやかな顔で接する - 言辞施(ごんじせ)
やさしい言葉で接する - 身施(しんせ)
自分の身体でできることを奉仕する - 心慮施(しんりょせ)
他のために心をくばる - 床座施(しょうざせ)
席や場所を譲る - 房舎施(ぼうじゃせ)
自分の家を提供する
人を元気付けること即ち、最も確かな自分を元気づける方法だ。この7つを意識することで、やらない理由よりやる理由を考えるようになっていった。また相手の笑顔をより喜べるようになった。実際こちらの、ちょっとした変化で相手の態度も変わる。これを意識するのとしないのとでは、人として生きていく上でだいぶ違う。
ところでこれからやりたいことだが、田舎の、もはや石垣が遺跡化している段々畑を整備し、食育や子育てと結びつけたい。細々と続けている英会話を生かして、外人を大好きな近所の山に連れていきたい。いつの日か、ゲストハウスみたいな人の集まる場所を作ってみたい。治療ももちろん継続したいし、妊婦や子供の治療を、行政や業種の違う専門家と繋がりつつやってみたい。
色々な場面で言っていることだが、人は誰もが必ず死ぬ。その順番は年功序列でもなんでもなく、ただただ無作為位に抽出される。生まれたての赤ん坊も年寄りもだ。ヨガにスイミングに食べ物に、人一倍気をつけていた人が、事故であっけなく死ぬことがあれば、80歳すぎて酒にタバコ、それでも元気に生きながらえている人がいる。いつ死ぬかわからないからこそ、できない理由を探している暇なんて実はないのだ。
悶々と過ごした学生時分、結婚して子どもを儲け、あれよあれよと歳を重ね、いつの間にか還暦間際。人の一生はかなり短い。さあどう生きるか、自分が問われる。
人生の最終章、何をするかどう生きるか、決めるのは自分だ。ちゃんと生きるとはどういうことか。これまで出会ってきた、ずるくて姑息で意地悪な人を反面教師に、豊かに生きる人を人生の師に「親父なかなかやるじゃん!」「じいちゃんかっこいい!」なんて思ってもらえるよう、もう少し頑張ってみたいと思っている。
自分を元気づける一番の方法は、誰か他の人を元気づけることだ
マーク・トウェイン
マーク・トウェイン
ありがとうの一言が周りを明るくする
おかげさまの一言が自分を明るくする
おかげさまの一言が自分を明るくする
ありがとう おかげさま これが仏教の心です
松原泰道
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ここからの眺めもおすすめなのです (^。^)
『雑宝蔵経』というお経に「無財の七施」という教えがあります。先月の「六波羅蜜」の最初に出てきた「布施波羅蜜」を具体化した教えでもあり、無財の七施を行うことで「大いなる果報を獲る」と説かれています。
2023年11月
生き続けたいという動物としての本能に対し、人間は「死」を知る生き物として、どこかに絶望を背負いつつ生き続けてきた。ある意味生き続けるだけで修行じゃないかと思うほどの。
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