「おおしたさん」のブログです

思っていることや考えていることを、気ままに書いています。

有事への思いと辺境の再生力

2024年06月28日 | 考えていることとか思っていることとか
小イワシの刺身、巷では珍しいみたいですね。
せっかく広島にいるんで今が旬の小イワシを捌いてみました。

捌くといっても、輪っかにしたPPバンドなる荷造りテーブ(下の写真のようなもの)やスプーンで捌くんで、皆さんのイメージとはちょっと違うかも。

今の時期だけなので、広島に来る機会がありましたら是非ご賞味くださいませ♪♪

老いは如何ともし難い。毎日運動をし、食事にも気をつけ始めているので、若い頃よりもはるかに動けている気はする。だが筋肉痛が3日後に出現するとか、ラーメンを食べる度にお腹を壊すとか、4時間くらいで必ず目を覚ましてしまうとか。ふとした瞬間、老いを感じることが増え続けている。すでに子育ても終わり、生活を広げる必要はない。老いに合わせて人生のダウンサイズを図るためにも、あの京都で過ごした風呂なし台所なしの4畳半一間生活の、物の少ない心地よさをもう一度取り戻したい。好きなものにだけ囲まれ、ちょっとした不便をも楽しみたいと思うのだ。

ところで日本は地震に台風等、自然災害が至る所で起きる国だ。地震について言えば、世界に存在する10枚のプレートのうち、なんと4枚に絡むのが日本らしい。陸地面積は地球上で0.25%しかないのに、マグニチュード6以上の地震は、実にその20%が日本周辺で発生しているという。プレートの配置からして、北海道から沖縄まで、地震の被害から免れることはできないのだ。記憶に新しい神戸と東北で起きた大規模な地震、関東大震災からすでに100年、首都直下地震が30年以内に70%の確率で起きると言われている現在、どこで巨大地震をやり過ごすか、ついそんなことを考えてしまう。

そういえば、日本の希望は元来辺境から始まったと、松岡正剛は「法然の編集力」で語っている。当たり前だが、都市の力が弱まった時、その再生を担うのは辺境だ。明治維新しかり、熊野詣しかり。国を、人を蘇らせる力は、辺境にしか存在し得ない。東洋医学もそうだ、脳や心臓は治療点にはならない。あくまでも末端、肘から先、膝から先にある大切なツボを使って治療する。東洋医学を長く学んできた身として、辺境こそが再生のキーワードという松岡正剛の話はとても納得できるのだ。

都市の脆弱性、あれだけの人間が移動し食事をし排泄するのだ、どれだけお金を積んだとしても、有事に生き残る術はあるのだろうか。そして、これだけ鬱や心を砕かれた人間がいて、稼いで楽しんで消費してという煽りに歯向かうことなく、それが当たり前だと、危険察知能力を放棄し、このおかしな社会こそが真実だという錯覚を植え付けられた、その場を離れようとしない茹でガエルと化した人間が多く住まう都会に、未来を考える力はあるのだろうか。

人生のダウンサイズと自然災害の恐怖。特に自然災害を考えた時、家族の分散は考えていたこと。とりあえず家族は北海道に関東、関西、四国に分散している。これだけ散らばっていれば、誰かが生き延びてくれるだろう。また、何があっても誰かを頼ることはできるだろう。地震から逃げることのできない国に生まれたからには、それくらいの危機意識は持っていたい。そして今の社会が永遠に続くなんてありえないのだから、何が起きても動じないよう、少しでも生活の多くを自立していたい。辺境から何もかもが再生するのだ、都会に人々が集まり続ける時代だからこそ、自らの辺境への思いをより強固にし、それを形にしなくては、と考える日々である。

どこの誰とも分からない、自分の思う通りに機嫌を取ってくれるネット住民にどっぷりはまり、井の中の蛙はその居心地の良さに沈んでいく。結果、茹で蛙とばかりにそこに慣れ、ネット社会に内在する危険を察知することができず、いつの間にかそこから這い上がれなくなってしまう。


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