今朝の空はなんだか素敵でした!
「反抗期がずっと続いている」「口を聞いてくれない」「友達と遊んでばかり」「全く勉強をしない」等々。小さい時はとても良い子でちゃんとしていたのに、今は何を言っても知らん顔。そして二言目にはクソババア。あんなに可愛かったのに、今はとても生意気で、ほとほと手を焼いている。
東大に受かろうが、オリンピックに出場しようが、、
東大を出たところで、スポーツで飯を食べるようになったところで、経営者として稼ぎまくったところで、人としてこいつどうなの、といった輩はたくさんいる。多分みんなわかっていると思う、頭の良さや運動能力の高さと生きやすさには、相関関係が無いということを。
そうはいっても、それがステータスの向上につながるのは確かだし、それが収入アップや生活の質の向上につながることは多い。そして優越感に浸ることもできるから、目指したいのは大いにわかる。しかし目標が金や勝ち負けだけであれば、所有欲にがんじがらめになるかもしれない。それで苦しみから解放されないことも大いにある。
私のような凡人が、凡人としてどこに生きやすさを見出すか。その良い塩梅はその人しか知らないわけで、中庸と言うか、その自分の一番生きやすいところをどこに見出すか、それこそが育てられるべき特性なのではないかと思うのだ。これはもう本人しか見つけることができない。親にはどうすることもできない問題だ。だからそこに関してはさっさと降参する。あなたが自分で生きやすさを探しなさいと放り出す。子どもにとってそれは孤独な作業だ。その孤独な作業を見守り支えることこそが親の仕事なのではないかとつくづく思う。
結局親が子どもにできる事は何もない。そう思っている私だから、父親の背中を追ってとか、親みたいになりたいとか、尊敬する人は親だとか、そんなことを恥ずかしげもなく平気で言うことができる人を信用しない。そんな発言を許すから、子供は親の顔色を窺うようになっていくのだ。
清潔な家でご飯の美味しい我が家を子どもは求めているのではない。何をしようが何をしまいが、ここだけは許される場所、そういう場所を欲しているだけなのだ。それさえ提供できれば、嫌なことがあったとしても、また学校に社会に立ち向かう事ができる。そういう場さえ提供できたら、子どもは自ら考え自ら行動し、自らの居場所を必ず見つける。そう信じて見守る事こそ、親のやるべき事なのではないかと思う。
去年だか一昨年だかに読んだ吉本隆明氏の「ひきこもれ」。以下のような事が書いてあったが、これはかなり刺さった。当時これをもう少し意識して子どもと向き合うことができたらよかったと思った次第だ。
白黒させてすっきりしたい人が多いこの世の中ではあるが、干渉しすぎず放っておきすぎず、子どもを見守ってもらいたい。
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